“右翼雑誌”と呼ばれても「WiLL」「Hanada」が絶大な支持を集めた理由…元編集部員が明かす「他の月刊誌ではありえない」名物編集長の仕事術
「マスコミの学校」に参加
「会社ではSE兼プログラマーとして勤務していましたが、このままでいいのかなと思い、次第に中国への留学を真剣に考えるようになりました。防衛省で分析官として働けるよう、中国で専門的な勉強ができないか下調べを始めたのです。ところが中国への留学経験のある人から、『あなたの性格だと絶対に中国人とケンカする。中国語で何を言われているか理解できるようになったら、言い返したくなるだろう』と忠告されました。それもそうだな、と。その時にちょうど、『WiLL』の編集長だった花田紀凱さんが2005年4月から『マスコミの学校』という講座をスタートすることを知り、まずは半年、こちらを受講してみようと考えたのです」
マスコミ業界に入りたいと願ってのことではなかったが、第1回の講師は田原総一朗氏と発表されていた。梶原氏は「田原さんの話が直に聞け、質問もできるのなら、それだけでもお金を払う価値がある」と判断した。
「もう一つ、自分にとっては大切な目的がありました。『WiLL』の愛読者に会いたかったのです。私にとっては大切な愛読誌ですが、友人や知人で読んでいる人は誰もいません。若者の右傾化が話題になったことは先に触れましたが、大手マスコミが懸念するほど保守派・右翼の若者なんて存在しないのです。孤独を感じることも多かったので、オフ会のような要素を講座に期待しました。ところが会場に足を運んで自分が間違っていたことを痛感しました。受講者の皆さんの多くは本気で編集者、作家、ライターを目指しており、思想的にはバラバラだったのです」
あだ名は「右翼少女」
講座がスタートすると、内容は充実していた。各界の著名人が講師としてくるだけでなく、企画の立て方や、大きなニュースを新聞やテレビではなく雑誌がどう伝えるのか……などなど、「週刊文春」、「マルコポーロ」、「uno!」、「編集会議」などの雑誌に関わり、いわゆる“スター編集長”の花田氏が実践的に指導を行った。梶原氏の企画案が花田氏に評価され、執筆した記事が「WiLL」に掲載されたこともあった。
「当時の私は携帯に旭日旗のシールを貼っていました。そのため花田さんに『右翼少女』と呼ばれていました。また学校で講師を務めていた作家の大下英治さんは思想的には左でしたが、右の私が目に付いたのでしょう、『ものを書くことに興味があるなら、大下事務所に来てもいいよ』と声をかけられていました。そのことを花田編集長に相談すると、ちょうど『WiLL』編集部に欠員が生じるところだったので、『だったらウチのほうがいいよ』と誘ってもらったのです」
言わば“一本釣り”で梶原氏は「WiLL」の編集部員となった。「マスコミの学校」で編集部員とも接していたため、編集部では「今度来る新人はとんでもない右翼らしい」とささやかれていたそうだ。
この20年、出版社で働く編集者や記者は社員でもフリーでも、20代の若手でも60代のベテランでも、ほぼ全員が出版不況や雑誌文化の衰退を目の当たりにしてきた。ところが梶原氏は違った。
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