江夏豊や桑田真澄の他にも有名選手が多数…「夢」を捨てず現役最後にメジャーに挑んだベテラン選手たちの“想い”とは

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「辞める理由を探すより、続けられる理由を…」

 NPB4球団を渡り歩いたあと、44歳でメジャーに挑戦したのが、下柳剛である。

 2011年限りで9年間在籍した阪神を自由契約になった下柳は翌12年、テスト生として楽天の春季キャンプに参加。阪神監督時代に日本ハムから下柳を獲得した星野仙一監督に先発要員と期待され、合格を勝ち取ると、「あきらめず、打たれても打たれてもしつこく勝ちに向かっていく姿を見てほしいです」と開幕から1軍ローテを守ることを誓った。
 
 開幕後は登板4試合、0勝2敗、防御率5.29と結果を出せず、4月下旬に登録抹消。そのままシーズンを終え、再び戦力外通告を受けた。44歳という年齢や満身創痍の身体を考えると潮時とも言えた。コーチ就任の話もあった。

 にもかかわらず、かつて「野球を辞めたい」と相談した小学生を「辞める理由を探すより、続けられる理由を一つでも探して頑張ってほしい」と励ました下柳は、「自分の言葉に責任を持たなければ」と考え、ドジャース傘下のマイナーの入団テストを受ける。

「メジャーのトライアウトは、自分にとって野球を続けられる理由そのものなんだ」(自著「ボディ・ブレイン」 水王舎)。

 FA宣言した阪神時代の2007年オフにメジャー数球団からオファーがありながら、最終的に残留しており、現役生活の最後に夢に挑戦する形になった。

 奄美大島でのトレーニングを経て、翌2013年2月28日、前日本ハムの松家卓弘ら200人以上の参加者にまじってテストに挑んだ下柳は、ブルペンで投球を行う1次選考を突破し、試合形式の最終テストへ。打者2人に四球と三振という結果に「もうちょっと投げたかったのはあったが、面白かった」と振り返った。

 しかし、結果は不合格。帰国後、独立リーグからオファーが来たが、折悪しく激しい肩と膝の痛みで歩くこともままならない状態に陥っていたため、断るしかなかった。

 そして、肩と膝の変調は「もうグラブを置け」という“身体からのメッセージ”と踏ん切りをつけ、3月20日、引退を表明した。

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