江夏豊や桑田真澄の他にも有名選手が多数…「夢」を捨てず現役最後にメジャーに挑んだベテラン選手たちの“想い”とは

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 佐々木朗希のメジャー挑戦が話題を集めている。これまでにも若い選手や脂の乗り切ったトッププレーヤーがさらなる高みを目指してメジャーに挑んだ例が多いが、現役生活の最後の夢としてメジャーに挑戦したベテランたちも少なくない。【久保田龍雄/ライター】

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37歳で挑んだ米アスレチックスでのポジション争い

 西武退団後、36歳でブルワーズのキャンプに参加し、最終選考まで残った江夏豊や38歳でパイレーツに入団してメジャーリーガーになる夢を叶えた桑田真澄が代表的だが、37歳にして日本人野手で最初のメジャーリーガーに挑戦した松永浩美もその一人だ。

 阪急時代の20代のときにメジャーの複数球団からオファーがあったのをきっかけに、「自分の気持ちの中にずっとメジャーがあった」という松永は、ダイエー最終年の1997年、左肘故障で5月14日に登録抹消され、再び1軍に戻ることなく戦力外通告を受けると、「まだ本当に野球がしたかった」とメジャー挑戦を決意した。

 ドラフト外入団選手では、史上初の通算2000安打まであと「96」。「メジャーに行って96本ヒットを打てば、自分の中で2000安打が達成できたと思う。誰もが無謀と思うだろうが、僕はその常識を破りたい」。

 そう語った松永は翌98年2月20日、背番号68を着けてアリゾナ州フェニックスのアスレチックスのキャンプにテスト生として参加した。

 2月27日、エンゼルスとのオープン戦で途中出場も、2打数無安打に終わる。その後、3月12日のパドレスとの練習試合で紅白戦も含めて17打席目に初安打を記録したが、オープン戦では安打が出ないまま、3月14日、ビリー・ビーンGMから「日本での実績は関係ない。今の実力で判断させてもらう」と契約の意思がないことを伝えられ、開幕ロースター枠25人の最後の1枠で振るい落とされた。

 翌15日、エンゼルス戦の最終打席で一、二塁間を抜くオープン戦初安打を放った松永は「皮肉なもんだね。自分でも打てる気がしていたよ」と遅きに失した一打に苦笑しながらも、「精一杯やったということには満足している。とにかく完全燃焼しました」と吹っ切れた表情で現役引退を決めた。

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