【べらぼう】一流の絵師を口説いて実現した初の出版物『一目千本』 あふれる蔦重の才覚
花に見立てられた遊女たちの競い合い
実際、どのページをめくっても、種々の花器に挿されたり活けられたりした百合、木蓮、山葵、昼顔など四季の花々が、半丁(1ページ)に2人ずつ描かれているだけだ。しかし、それぞれの絵の脇には小さな文字で遊女の名が記され、トータルで122人もの吉原の遊女たちが品定めされている。
『一目千本』には「華すまひ」という序題がついている。「華」は「華」、「すまひ」は「相撲」である。「相撲」というとあの相撲を思い浮かべるのは当然だが、その語源の「すまふ」という動詞には元来、「争う」「競う」という意味がある。すなわち、遊女たちを花に見立てて、相撲よろしく競わせたのが『一目千本』なのである。
その序文には次にように書かれている。
「ここに名にしおふ青楼の栄花はさくらに春の長きをしらす。ほととぎすに薄着をしらす。秋たつ風に暮のさびしみをしらす。雪の降日も寒さをしらす。かかる限りなき楽しみこそまことの栄花とはいうなるべし/四季の花を名君の姿によそへ春夏を東と定め秋冬を西と極めてすでにすまひを初めける」
田中優子氏の言葉を借りれば、《四季の移ろいを楽しむ場である吉原遊郭で、四季の花を、遊女たちの姿に見立て、東と西に分け、東に春夏の花を、西に秋冬の花を挙げて、『行事次第に団扇を上げ西の勝ち、いやいや東か勝』と評価しませんか、と書いている》ということである。そして、田中氏は続ける。《遊女一人一人の『個性』と花とを重ね合わせ、『似ている』『似ていない』などと言い合ったのではないかと思う。四角い洗面器のような陶器の隅に生けられた、葉の大きな水生植物『河骨』を見ていると、『いったいどれほど大柄でしっかりした遊女なんだろう』と関心が湧く》(『蔦屋重三郎 江戸を編集した男』文春新書)。
すでに一流だった北尾重政を起用
蔦重は『一目千本』の製作にあたって、肝心となる花を描く画家に、すでに一流と評価されていた北尾重政(ドラマでは橋本淳が演じる)を選んだ。江戸小伝馬町で書肆(書店)を営む須原屋三郎兵衛の長男として生まれ、本に囲まれて育ちながら、独学で絵を習得し、書店の経営は弟にまかせて画業に専念するようになった人物だ。
役者絵、美人画、武者絵などを描き、俳諧や書にも通じていた重政は、とりわけ吉原などの遊里における風俗の活写に秀でていた。のちには北尾派をつくり、門下から北尾政美の名で多くの役者絵や挿絵を描き、天才とうたわれた鍬形蕙斎、北尾政演の名で画師として活躍しながら洒落本などの傑作を多く遺した山東京伝らが輩出している。
『一目千本』に描かれた季節の花々の写実的かつ瀟洒な描写を見ると、自身初の出版に北尾重政を選び、口説き落として書かせたのであろう蔦重のすぐれたセンスが感じられる。当該の遊女を知っている人が見れば、なるほど特徴をよくつかんで見立てていると、ひざを打ったのではないだろうか。
とはいっても、描かれているのはあくまでも活けられた四季の花々であるから、一般向けに販売して、多くの人が飛びつくようなシロモノだったとも思えない。しかし、蔦重としては、いくら吉原を盛り上げたいからといって、投下した製作費を回収できないようでは、自身が干上がってしまう。
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