授業に集中できないから「キャラもの文具はNG」の理不尽… 子どもの思考停止を招く“不合理な規則”に現役教諭が警鐘を鳴らす

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「黒板を消したら、担任の先生に怒られちゃった」

 これからの時代に必要なのは、創造力や臨機応変さだと頭では考えていても、結局、決まりごとに無条件でしたがう従順さを求めているのだ。こんなことでは、予測困難な事態に対処できる力など育つはずがない。学校がそこに目をつぶり続けるのなら、「社会に出るための準備機関としての学校」という立ち位置は根本から崩れてしまうのではないだろうか。

 大切なのは、子どもたちが自分で正しい判断ができる人間に育っていくことだ。文房具にどんなキャラクターが入っていても気が散らない子どもは、気にせず好きなキャラクターの文房具を購入すればいい。キャラクターが気になって勉強に集中できない子がいるとしたら、無地のノートにすればいい。

「そんなことを、子どもが自分で決められるはずがない」

 と言う大人がいるかもしれないが、ではいったいいつ、どのタイミングで子どもに自己判断する機会を与えればいいのだろうか。できる、できないではなく、自分で考えて判断する 機会を小さなときから与え、少しでも正しい判断ができる人間にしていくことが大切なのである。判断を誤ることもあるだろうが、大小さまざまな失敗を繰り返しながら大きくなっていけばいい。むしろ失敗することこそ、子どもには必要なのだ。

 学校に細かな校則や謎の不文律が存在することによって、日本の子どもたちはその力を大きく削がれてきたと私は考えている。つまり、余計なことをしたら怒られるから、指示があったとき以外は何もしないという習慣を身に付けてしまったのである。あるとき、一人の児童が私のところにやってきた。児童指導専任としての立場を知ったうえでの訪問である。

「先生。黒板を消したら、担任の先生に怒られちゃった」

 事情を聞いてみると、その子は黒板係ではないのだから、他の子の仕事を奪ったことになるのだと注意されたのだという。その担任は最後に、「余計なことをしないようにね」と釘を刺したそうだ。

 黒板係だけに黒板を消す資格があるのだとしたら、係が休んだり自分の役割を忘れたりしたときに、誰も黒板をきれいにしないことになる。実際、この児童は消されず汚いままの黒板を見て、進んで黒板をきれいにしたのだ。だが、それが「余計なこと」だと言われてしまった。

 私はこの児童に、黒板を消したのは決して余計なことなんかではないと伝えたが、おそらく二度と進んで行動しないに違いない。自分で考えて進んで動くことは悪だと教えられてしまったからだ。もしかしたら、学校における最大の不文律は、「先生の許可なく余計なことをしない」ということなのかもしれない。これでは小さなムラの掟を守ろうというメンタリティーは育っても、自分で考えて動く人材は育たない。

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 この記事の前編では、同じく『学校に蔓延る奇妙なしきたり』(草思社)より、一律の「ランドセル登校」や「スク水着用」など、よくよく考えれば理不尽な「学校のしきたり」について取り上げている。

『学校に蔓延る奇妙なしきたり』(齋藤浩著、草思社)

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【著者の紹介】
齋藤浩(さいとう・ひろし)
1963(昭和38)年、東京都生まれ。横浜国立大学教育学部初等国語科卒業。佛教大 学大学院教育学研究科修了(教育学修士)。現在、神奈川県内公立小学校児童支援専 任教諭。佛教大学研究員、日本獣医生命科学大学非常勤講師を歴任。日本国語教育 学会、日本生涯教育学会会員。著書に『教師という接客業』『追いつめられる教師たち』『子どもを蝕む空虚な日本語』『お母さんが知らない伸びる子の意外な行動』(いずれも草思社)、『ひとりで解決!理不尽な保護者トラブル対応術』『チームで解決! 理不尽な保護者トラブル対応術』(いずれも学事出版)などがある。2024 年10 月 財務大臣表彰を受彰。

デイリー新潮編集部

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