なぜ「ランドセル登校」なのに「遠足はリュック」なのか… 現役教諭も疑問を抱く学校の“奇妙なしきたり”

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奇妙なしきたり2 不文律としてのランドセル

 学校には意味不明な不文律が依然として数多く存在する。これからの時代に求められる臨機応変さではなく、意味も考えずに従順にしたがう姿勢を子どもたちに求めているのである。学校は深く考えない構成員を好むから、教員の誰かが、

「ランドセルで登校というのは校則には規定がないのに、どうして一年生は高価なランドセルを購入するのですか」

 職員会議でそう質問でもしようものなら、即座に煙たがられる存在になるだろう。学校は波風を立てないことを至上の価値としているので、学校のしきたりに疑問を呈する者は異物と見なされることは間違いない。子どもがリュックサックで登校したいと言ってきたら、

「リュックは遠足のときだけね」

 多くの教員がそう答えるに違いない。ランドセルがそこまで便利で快適なのなら、子どもたちはこぞって遠足にも持っていくだろう。しかし、私はランドセルで遠足にきた子を今まで一人しか見ていない。本人は、「僕はランドセルが一番好きだから」と言っていたが、まわりの子たちは好奇の目でながめていた。遠足なのにランドセルはおかしい。まるでそう言っているかのようだった。

「学校に登校するときにはランドセルで。遠足にはリュックサックでくるように」

 そんなふうに明文化された校則はない。だが、何となくそうするべきだという不文律が、学校には存在しているのである。かつて学校教育を受けてきた保護者たちも、同様の意識を持っている。

奇妙なしきたり3 同じデザインのスクール水着

 スクール水着の着用も、画一化をねらった不文律の象徴である。そもそも、学校ではスクール水着が何なのかという定義はない。だが、帰りの会で、

「明日はプールの時間があるから、スクール水着を忘れないでね」

 担任がそう言えば通じるほど、昔から全国的に普及している。そうはいっても、誰しもオシャレはしたいもの。子ども用でもワンポイントでキャラクターが入っている水着や、ラインの色が鮮やかな水着がある。

 女子ではキュロットタイプのものやフリルワンピースのような水着まで登場している。調べてみると、どれもれっきとしたスクール水着なのである。だが、そうした水着を子どもが持ってくるたびに学校は、

「ワンポイントはどこまで認められるのか」
「あれはどう見てもスカートみたいだ。本当にスクール水着なのか」

 ハチの巣をつついたような大騒ぎになるのである。改めて断っておくと、リュックサックで登校しても、オシャレな水着でプールに入っても校則に違反しているわけではない。学校(教員)の側が勝手に、「えっ?」と思うだけだ。

 なぜ疑問に思うのかというと、みんなが同じ物を持ったり身に付けたりするべきという不文律に抵触しているからである。金子みすゞは「私と小鳥と鈴と」という詩の最後を、

「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい」

 というフレーズで結んでいる。教科書に掲載されていたこともあるので、学校で習った子どもたちも多いはずだ。教えるほうの教員はもちろん、

「物の見方も考え方も、一人ひとり、みんな違っていいんだよね」

 そのような話をしたはずだ。多くの教員が理屈ではわかっているものの、いざ指導の場になると校則や不文律で子どもをがんじがらめにしようとする。子どもたちが不文律を無意識に察知して、それにしたがうことが習い性になるのだとしたら、とても危険なことではないだろうか。

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