「『元おニャン子』という肩書きが邪魔で邪魔で…」 会員番号4番・新田恵利、バイト感覚で芸能界へ

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ファン世代が介護に携わるように

 ごく普通の高校生だった新田だが、芸能界に入り生活が一変した。放課後すぐにテレビのスタジオで生放送があり、その後はメディアの取材や音楽番組の収録があった。家に帰るのは深夜2時をまわるのは当たり前。土日もコンサートなどがあり、休みは全くなかった。

「テレビを見る時間はありませんでしたね。だから、私にとっての“80年代”は1980年から84年まで。それで終わってしまったんです」

 高校生をやりながら、寝る間もなく働き続けた。モラルに対する意識が今ほどは高くない時代。暴走したファンから度を越した「追っかけ」も受けた。所属事務所もなく、マネージャーもいない。そうした環境で、徐々に精神がむしばまれ、「いつ終わるのか」とばかり考えるようになったという。

 デビューから1年半後、「おニャン子クラブ」を卒業した。

「おニャン子を卒業してすぐは、『元おニャン子』という肩書きが邪魔で邪魔で仕方がなかったですし、そう言われるのも嫌でした。しばらくして、『これは消せない過去だから、受け入れるしかない』と思って、ようやく受け入れ、開き直れたんです。今は、『あの頃の私があったから、今があるんだな』っていう風に思えるようになりました」

 時は流れ、おニャン子のファン世代が、介護に携わるようになってきた。講演活動などを行う中で、共感してくれたり、「勉強になります」と言われたりするという。

「あの頃の私があったから、みなさんが耳を傾けてくれるということもあると思います。介護もそうですが、どんな人生でも目の前の現実を受け入れることで変わってくる。いい意味であきらめるのは大事なんじゃないかなと思っています」

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 第4回では、夫とのラブラブの夫婦生活を語る。

新田恵利
1968年、埼玉県ふじみ野市出身。1985年、「おニャン子クラブ」のメンバーとしてデビュー。1986年、「冬のオペラグラス」でソロデビュー。タレント、女優として活躍する。2023年から淑徳大学総合福祉学部の客員教授。

デイリー新潮編集部

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