「『元おニャン子』という肩書きが邪魔で邪魔で…」 会員番号4番・新田恵利、バイト感覚で芸能界へ
80年代のアイコン的グループ
芸能界と福祉・介護の世界どちらが大変と思うかと聞いたところ、新田恵利(56)はすぐに「芸能界です」と、こう返した。
「私の思いひとつではどうにもならないことばかりでしたし、今のタレントさんは、何でもできなきゃならないでしょ、大変だなあと思ってみています」(全4回の第3回)
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新田がアイドルグループ「おニャン子クラブ」としてデビューしたのは1985年。大ヒットしたデビュー曲「セーラー服を脱がさないで」でフロントメンバーに選ばれた。会員番号4番。80年代のアイコン的グループだった。
当時をどのように見ているのか。
「私は(中森)明菜さん、(松田)聖子さんの歌を聞いて育っているので、80年代の中にいたとは思っていません。むしろ、逆で“一般市民”の感覚です。テレビで当時を代表する曲を紹介している時も、『自分が出てくるかな』と思って見てはいなくて、『自分が好きだった曲が入ってないじゃん』と思って見ています」
デビューのきっかけは、先輩の勧めで受けてみた「オールナイトフジ 女子高生スペシャル」のオーディション。当時、高校2年生だった新田は、不二家で時給380円のアルバイトをしていたという。
オーディションに合格した後、「おニャン子クラブ」の立ち上げメンバーとなる。さらには、新番組のアシスタントとして出演の依頼を受けた。1回の出演料は5000円。新田にとって、「破格のアルバイト」だった。新番組とは「夕焼けニャンニャン」である。
「当時、芸能界に全く興味はありませんでした。本当にバイト感覚で(芸能活動を)始めたんです。私の友人もマクドナルドでバイトをしていて、そのまま就職をしたんですが、私も同じ。芸能界でバイトをしていて、気が付いたらそのまま就職した感じです」
本当は専門学校に入って、旅行ガイドか、ジュエリーのデザイナーになりたかった。だが、おニャン子の“顔”として人気が沸騰していく。1986年には、ソロでもデビューし、「冬のオペラグラス」がオリコン初登場で1位を獲得する。
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