中日の守護神「マルティネス」を獲得した巨人 これまでも他球団で成功した「助っ人外国人」を数多く“引き抜いて”きた過去が

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監督が代わるたび、クビになった選手も

 2003年には、クローザーもできる中継ぎとしてダイエーの4年間で通算117セーブを記録したペドラザを補強したが、力の衰えは隠せず、1勝1敗0セーブ、防御率12.00とまったく活躍できなかった。

 そこで、翌04年はロッテを戦力外になったシコースキーを獲得。ロッテ時代は3年間で9勝16敗3セーブと今ひとつだったが、150キロ台の速球を売りに、1年目に62試合、2年目に70試合に登板、2年間で12勝5セーブ14ホールドを挙げ、リリーフ陣の駒不足を解消した。

 だが、05年限りで堀内恒夫監督が退任し、原辰徳監督が復帰すると、前横浜のマレンともども自由契約に。ロッテ時代もバレンタイン監督就任後、構想外になっており、まさに因果はめぐる。

 その後もヤクルト、2度目のロッテと監督が替わるたびにクビという間の悪さを繰り返しながらも、10年に4球団目の西武で33セーブを挙げ、最多セーブに輝いた。

 06年、シコースキーに代わって巨人入りしたのが、近鉄時代の02年にリーグ最多の17勝を挙げるなど、通算57勝を記録した196センチ右腕・パウエル(オリックス時代の前年は登録名・JP)である。

 1年目は先発ローテ入りし、2年連続二桁の10勝をマークしたが、翌07年は右膝の故障で0勝2敗に終わり、自由契約に。翌08年はオリックス、ソフトバンクと二重契約問題を起こした末、ソフトバンクに移籍も、2勝6敗と復活ならず、退団、帰国した。

最後はロッテで「外国人史上初の全12球団勝利」を記録

 08年、V奪回のため、先発投手陣の補強を図った巨人は、前年ヤクルトでリーグ最多の16勝を挙げながら、契約条件が折り合わずに退団したグライシンガーに白羽の矢を立て、阪神、ソフトバンクとの争奪戦の末、獲得する。

 同年、グライシンガーは2年連続リーグ最多勝となる17勝を挙げ、巨人の6年ぶりVに貢献した。だが、西武との日本シリーズ第4戦では、中島裕之への死球がきっかけで乱闘寸前の騒ぎを起こし、試合再開後、中村剛也に試合を決める2ランを被弾。結果的にシリーズの流れを変えてしまった。

 翌09年も開幕投手を務め、13勝を挙げたが、10年以降は右肘故障の影響で1勝しかできず、11年限りで退団。ロッテに移籍した翌12年は12勝を挙げ、外国人史上初の全12球団勝利を記録した。

 08年には、前出のグライシンガーとともに、横浜の守護神でNPB最速161キロ(当時)の記録保持者・クルーンも獲得している。

 先発復帰の上原浩治に代わってクローザーを任されたクルーンは同年、自己最速を162キロに更新するとともに41セーブを記録し、来日4年目で初の最多セーブのタイトルを獲得。グライシンガーとともに優勝の立役者となった。

 だが、好不調の波の激しい“劇場型クローザー”でもあり、4月27日の阪神戦では、3対3の9回2死満塁、フルカウントから新井貴浩にサヨナラ押し出し四球を許した直後、球審に「ブルシット!(ふざけんな)」の暴言を吐き、試合終了後に退場を宣告される珍事となった。

 最終年の10年は、防御率4.26と落ち込んだものの、巨人在籍3年間で通算93セーブを記録し、03年以来の抑え不在の悩みを解消した。

 このほか、ヤクルトから移籍1年目の09年に15勝を挙げたゴンザレス、12年にソフトバンクから移籍し、12勝を挙げたホールトン、昨年、2勝20ホールドを記録した前阪神のケラーと、いずれもリーグ優勝や日本一に貢献。今季のマルティネスが彼らに続くことができるかどうか注目される。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部

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