初めてのキャンパスに「おのぼりさん」状態  デビューから40年、元「おニャン子」新田恵利「大学生に憧れていた」

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「専門学校に行くつもりでした」

 大学のキャンパスへと足を踏み入れたのは、客員教授になってから。

「おニャン子で学園祭に招かれていた、というファンの方からの指摘もあるんですけど、私は急病で欠席しているんです。だから、私にとっては今回が初めてで、ふーんこういう雰囲気なんだと『おのぼりさん』状態というか新鮮でしたね。

 私の時代、女子は行っても短大までの時代ですから専門学校に行くつもりでした。旅行関連のガイドさんになりたいとか、ジュエリーのデザイナーさんになる道を考えたりしていたんです。一方で大学生に憧れてもいたんです。夢が叶って嬉しいのは勿論ですけど大学生ってこんなに若かったんだ、って。自分が二十歳の時は大人になったつもりでいたんですけどね。1年生なんてキャッキャして、ほんと子どもみたいで驚きました」

 年齢を重ねると、歳月が経つのが早く感じられ、あっという間に時が流れていく。同じ1年でも、二十歳の学生の1年は人生の20分の1だが、60歳は60分の1だから短く感じるという「ジャネーの法則」の通りだとし、新田先生は「とくに今年 は早く感じました。歳をとるわけです」と微笑む。が、落ち着いているのは夫で事務所社長の長山雅之さんの悪性リンパ腫が主治医から「寛解」と診断され、また二人三脚の日々を送れていることが大きいのだろう。この日も湘南の自宅から車で2時間。一緒に大学まで来て、教室では講義を最後列から見守る姿があった。

「介護も看取りも、楽しいことばかりではありませんけど、それも人生なんだと悟ることができたりします。これまでなかったような、たとえばエンディングドレスのファッションショーを企画したいと考えたりしているのですが、いま一つ行動力と発信力がなくて。私が再ブレークできればいいんですけど(笑)、夫の病気のこともあって皆さん気をつかってくださったみたいで、2024年は結構、暇にしていましたね」

 暇も悪くないと思っているのは、楽しそうな表情からも伝わってくる。昨年12月には甥の結婚式に参列し「私の結婚式には七五三のときのスーツで参列したのに、ホント、時が経つのは早いわ」と笑った。

 おニャン子クラブのメンバーとして一世風靡したアイドルだった新田が1歳年下のフジテレビ社員との結婚でマスコミ関係者を驚かせたのが1996年のこと。「復活夕やけニャンニャン」という番組のイベント担当だったこの社員が長山さんで、結婚30周年が近い。2025年は、おニャン子クラブでデビューした1985年から実に40年の節目なのである。

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 第1回では、新田が大学の授業する様子を紹介している。

新田恵利
1968年、埼玉県ふじみ野市出身。1985年、「おニャン子クラブ」のメンバーとしてデビュー。1986年、「冬のオペラグラス」でソロデビュー。タレント、女優として活躍する。2023年から淑徳大学総合福祉学部の客員教授。

デイリー新潮編集部

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