元「おニャン子」新田恵利、大学教授の今 実母の介護体験伝える「人間、信頼している人の言葉はよく聞きます」

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淑徳大学総合福祉学部・客員教授

「よろしくお願いします」

 そう言って教員控室で差し出された名刺には「総合福祉学部 客員教授」との肩書があった。淑徳大学で2023年から教壇に立つ新田恵利(56)。伝説的なアイドルグループ「おニャン子クラブ」の元メンバーだ。2025年も客員教授を続けることが決まった。その講義を拝聴すると、実母を介護し看取った6年半もの経験を若い学生たちに伝える姿があった。(全4回の第1回)

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「皆さんおはようございます。こんにちはかな」

 柔らかな冬の陽射しが千葉キャンパス15号館2階の広い教室に降り注ぐ師走の午後1時、3限の講義開始を告げるチャイムが鳴り響くなか、新田先生は語り始めた。

 介護現場での実習を終えた3年生たちへのこの日の講義のテーマは「信頼」。被介護者との関係をどう結び、どうやって円滑かつ双方とも満足できる介護へとつなげていくかというものだ。新田さんは2021年3月、母・ひで子さんが92歳で亡くなるまで、介護と被介護者という間柄になってからも良好な関係でいられたそうだ。

「父が56歳の時に私は生まれ、(『おニャン子クラブ』のメンバーとして)デビューした17歳の時に父は急死してしまい、親孝行も、父がどういう人だったのかもきちんと分からないまま逝ってしまったという心残りがありました。だからというわけでもないのですが、母にはいつも近くにいてあげたいと思ったんです。ちょうど皆さんの年齢と同じくらいの20歳からひとり暮らしをしたのですが、その 後の10年間、毎日欠かさずに電話をしました。

 まだ携帯もなく、公衆電話からほんの5秒だったりすることもありましたけど、話すことなんてなくても『大丈夫』の声を聞くだけで生存確認はできます。『じゃあね』で切ったとしても、声の調子から体調がわかりますよね。それで『風邪ひいてない?』『また腰が痛いの?』って、聞 いていました。介護になると母と子の関係が逆転するのですけど、ウチは早かったって思っています」

しかし、2014年の秋、ひで子さんが骨粗しょう症で3週間入院し、退院の際には立つことも歩くこともできない要介護になった。突然のことに、準備も心構えも微塵もしていなかったため、当初は四苦八苦し、悩み泣いて、途方に暮れたそうだ。

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