中学時代からの“叩いて歌う”スタイルは「今も難しい」 稲垣潤一が語るデビュー前夜
「ドラマティック・レイン」や「クリスマスキャロルの頃には」などのヒット曲で知られるシンガーの稲垣潤一(71)。ドラムを叩きながら歌うのは、音楽を始めた当初から貫くスタイルだ。強い影響を受けたのは、ザ・ビートルズの存在だったという。
(全2回の第1回)
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父が好きだった「ナット・キング・コール」 必然的にラジオから聞こえてきた洋楽
宮城県仙台市に生まれ、両親ともに音楽好きという家庭で育った。特に父は洋楽を好み、ナット・キング・コールなどを好んで聴いていたという。ラジオからはさまざまな曲が流れていた。UKチャートやビルボードチャートに入る曲が多かった中でも、ザ・ビートルズは別格だった。
「1960年代のポップス・ロックをカッコいいと感じる中で、やはりビートルズの存在は大きかった。とにかく曲がカッコよかった。当時は、この曲はポール作曲、こっちはジョン作曲などとは知らずにいましたが、他のバンドとは聴こえ方が違っていた。とがったサウンドをしていたんでしょうね。特にジョンの声質や歌い方に憧れました」
中学の頃にはグループサウンズ(GS)ブームに。アイ高野(ザ・カーナビーツなど)や植田芳暁(ザ・ワイルドワンズ)らがドラムを叩きながら歌っていた。そうした姿に憧れていたわけではないというが、ドラムセットに興味があった。
母が買ってくれたエレキギターに続き、12弦のアコギも購入
中学3年時にバンドを結成した。当時は貸しスタジオもほとんどなく、メンバーの自宅をスタジオ代わりに集まって練習していたという。そのメンバーは先輩ともバンドを組んでおり、彼らは自宅に楽器を置いていった。そこにドラムセットがあった。
「キクチ君という同級生のメンバーでしたが、彼が8ビートを叩いてくれたんです。カッコいいな、と思って自分でも8ビートを叩いてみたら、すぐにできるようになった。ドラムセットというもののビジュアルのカッコよさも感じていましたし、『ドラムがつくり出すビート感と音ってすげぇなあ』と思って。それでドラムスをやりたい、と。それにリードボーカルもやりたかったんで、このスタイルになったんです」
今もライブなどではドラムを叩きながら歌う「叩き語り」をこなすが、何十年とそのスタイルを重ねてきても、なお難しさがあるという。
「ドラムに納得できても、歌がちょっと納得できなかったりすることは今でもある。それはオーディエンスには届かない部分かもしれませんけど。 歌とドラムがカチッとハマる瞬間やゾーンがあるんですが、常にそういういいゾーンに入ってプレイできるわけでもなくて。自分の中で何かがちょっとずれていることもあるので、その意味では非常に難しい。体幹がぶれないようにしないと歌もぶれてしまいます。今でもドラムを叩くことはトレーニングになっている面もありますね」
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