「巨人・田中将大」は200勝達成なるか 過去にもいた戦力外後にジャイアンツに移籍した現役晩年の「名選手」たち
日米通算200勝まであと3勝に迫りながら、楽天を自由契約になった田中将大が紆余曲折を経て巨人に入団、「3勝で終わる気持ちはない。チームのためにひとつでも多くの勝利に貢献したい」と決意を新たにした。球界には過去にも、ベテランになりチームの構想から外れたあと、新天地を求め、現役晩年に巨人のユニホームを着た男たちが存在した。【久保田龍雄/ライター】
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「最後にジャイアンツのユニホームを着て野球生活を終えることができ…」
まず記憶に新しいところでは、ソフトバンクの中心打者として通算1832安打、301本塁打を記録し、7度の日本一に貢献した松田宣浩の名が挙がる。
2022年、39歳の松田は、出場43試合、打率.204、0本塁打と17年間でワーストの成績に終わり、チームの若返りを図る球団から翌年の契約を結ばないことを告げられた。
「まだまだ野球が大好きということ、まだまだ体が元気ということ、大好きな野球を自分から辞めるという気持ちにはならなかった」と現役続行を望み、いち早く獲得に動いた巨人への移籍が決まる。勝負強い打撃と経験豊富なベテランの味を原辰徳監督に「必要な戦力」と評価されたのだ。
「ずっとパ・リーグで、日本シリーズでの対戦しかなかったけど、(郷里の)滋賀では巨人戦しかやっていなかったので、小さいころから巨人ファン」という松田は「ジャイアンツの勝利のために野球を頑張りたい」と憧れの球団でもうひと花咲かせることを誓った。
だが、翌23年は出場12試合の打率.063に終わり、9月2日に2度目の2軍降格となった直後に引退を決意。引退会見では「プロ野球生活は、私にとって夢のような時間でした。(点数をつけるなら)100熱男です」と自らのトレードマークとなった言葉を口にして会場を沸かせたあと、感極まり、「最後に……最後にジャイアンツのユニホームを着て野球生活を終えることができて良かったと思います」と声を詰まらせた。
大記録を前に、たった1年で自由契約に
冒頭の田中同様、大記録達成を目前にして巨人に移籍したのが、近鉄時代の加藤英司である。
阪急時代に2度の首位打者、3度の打点王に輝いた加藤は、37歳になった近鉄2年目の1985年も、打率.286、26本塁打、78打点の好成績を記録し、通算2000安打にもあと「36」に迫った。だが、“もう一人の監督”と呼ばれた仰木彬ヘッドコーチとの確執などから、2度目の契約更改交渉の席でトレード希望を伝えた。
そして、12月25日、「左の強打者が欲しかった」(王貞治監督)という巨人への金銭トレードが決まる。
「僕は静岡県生まれ。やはり巨人のユニホームは、子供のころから憧れていた。自分を生き返らせてくれた近鉄で静かにバットを置きたいとも思ったが、あと2、3年の選手生活を夢だった巨人でプレーすることに賭けた。プロに入ったときの気持ちに帰り、やり通したい」と新天地での完全燃焼を誓った。
だが、翌86年は、シーズン前半こそ不振の中畑清の代役を務めたが、DH制のないセ・リーグでは出番も限られ、後半戦は代打出場ばかり。23安打の打率.219、3本塁打に終わり、2000本安打まで「13」を残して、たった1年で自由契約になった。
「こんな形で野球を辞めたら、あまりにも寂しい」と現役続行を望んだ加藤は、翌87年は阪急時代の恩師・西本幸雄氏の仲介で通算4球団目の南海へ。5月7日の古巣・阪急戦で2000本目の安打を記録し、同年限りでユニホームを脱いだ。
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