「中居正広」発表コメントに「解毒作用」がなかった理由 「示談と終戦は別物」という指摘
中居正広の「公式コメント」は事態の沈静化には貢献していないようだ。年末年始にかけて「女性セブン」と「週刊文春」が報じた女性との性的トラブルに関して、1月9日、中居は自身の事務所の公式HPでコメントを発表した。ここでの要点は以下の通り。
速報中居正広のトラブル、フジテレビ役員が佐々木アナを擁護… 「悪く言われるのはかわいそう」「涙ながらに寄り添ったのに」
・女性とのトラブルがあったのは事実
・週刊誌報道には事実と異なる部分がある
・双方の代理人を通じて示談は成立している
・守秘義務があるので詳細は語れない。ただし「手を上げる」などの暴力はない
・「相手さま、関係各所の皆さま」には申し訳ない
・当事者以外の関与はない
・トラブルは自分の至らなさが原因
・相手さまのためにも憶測での詮索・誹謗中傷はやめてほしい
・皆様に心からおわび申し上げる
これらはいずれもある程度想定内の内容だといえるだろうが、独自性ゆえに高い注目を集めたのは以下の一文だろう。
「示談が成立したことにより、今後の芸能活動についても支障なく続けられることになりました」
読みようによっては、勝手な言い分とも受け止められかねないこの部分については、次のような解釈がなされている。
「法的には支障がない立場なのだから、仮にCMなどの降板といった決定を下されたとしても責任は中居側にはなく、あくまでも決定した側にある。従って違約金などは発生しない」
中居側の真意は明らかではないが、この一文がより反発を招いた面があることは否めないだろう。人気商売ゆえに「支障」の有無は本人が決めるものではない。
にもかかわらず、示談の成立と「支障」の有無をダイレクトに結び付け、それを公言したあたりは、法的な問題とは別の摩擦を引き起こした。
これまで報道を控えていた「関係各所」のメインであるテレビ局は、公式コメントの発表を受けてニュース番組などで扱いやすくなり、さらにその内容への反発を受けて、さらなる対応を求められている。
言葉遣いに足りない優しさ
こうした反応は、公式コメントを発表するにあたって想定していたものなのか。より反発の少ない対応はあったのか。危機管理コンサルタントで『その対応では会社が傾く プロが教える危機管理教室』などの著作がある田中優介氏(株式会社リスク・ヘッジ社長)に聞いてみた。
「注目が一番集まった一文、『示談が成立したことにより、今後の芸能活動についても支障なく続けられることになりました』に象徴されるのですが、コメント全体としてもう少し優しい言い方を意識してもよかったのでは、と感じました。
『守秘義務』『示談(が成立)』など、法的には正しい言葉であっても、当人のコメントにした場合には、“もうその話には触れたくない”と考えているような印象、どこか冷淡な感じを読む側に与えてしまいます。
例えば『守秘義務』については、『相手の方とのお約束で、情報は開示できないことになっています』といった言葉を用いる、といった工夫があってもよかったでしょう」
その種の工夫だけでは収まらないトラブルという認識が広まっているのだが――。
「そうですね。あくまでも言葉遣いは技術的な問題です。
今回の場合、被害者の方にかなり深刻なダメージを与えているとの報道もあります。私は真相を知り得る立場ではないのですが、少なくともそうした認識を持つ一般の方が多い状況なのは事実です。
危機管理では、(1)感知(危機を察知)、(2)解析(状況や展開の分析)、(3)解毒(謝罪や補償など)、(4)再生(復帰や活動再開など)という順にステップを踏むのが常道です。示談は、(3)解毒にあたる作業です。
それが済んだから次は再生を――中居さんならば芸能活動の継続を――と考えるのは間違いではないのですが、いかんせん急ぎ過ぎです。この性急さは、松本人志さんにも通じるところです。
解毒には時間をかける必要があります。というのも、金銭的な補償や謝罪の言葉だけで相手が赦(ゆる)す心境になるとは限らないからです。
例えば誰かの愛車を傷つけたとします。損害額は算出可能なので、支払った側からすれば満額、あるいはそこに上乗せして支払えば“解決済み”という理屈は成り立ちます。新車を買えるだけの金額ならば、それで解決ということもあるでしょう。
しかしもしもその愛車が相手にとってかけがえのない車で、完全に元に戻せないような場合、いかに法的には解決したとしても、相手の感情は収まりません。
モノでもそうなのですから、身体や精神が関わる問題では言うまでもありません。法的な解決を見るためには、お金に換算して、示談にする必要があるのですが、それは完全な解決ではないのです。
この点、弁護士はつい法的な解決に集中しがちなのですが、示談や和解は解毒における要素の一つに過ぎません。これらは国家間でいえば、停戦や休戦に近いものであり、終戦後の国交正常化や平和条約締結という段階ではないのです」
罰を受けない再生は難しい
しかし、それではいつまでたっても解毒が終わらない可能性もあるのでは?
「今回支払ったとされる金額は9000万円と高額ですが、中居さんにとって致命的なダメージを受けるような金額ではないと多くの人が感じています。従って、彼が“罰”を受けたという認識が社会的に共有されていません。松本さんも、1年間の休止で収入が激減したとお話ししていましたが、そもそもこれまでに一般の人とは比べ物にならないくらいの収入を得ていたので、共感も同情も得られません。
罰を受けたという認識が世間にほとんどない段階にもかかわらず、芸能活動の継続に支障がないというコメントを発したので、違和感を表明する人が多いのです。
中居さんや松本さんが記者会見をやらないことも、“罰”を受けていないという認識を強化する方に働いているでしょう。記者やレポーターにたたかれるだけ、メディアに利用されるだけ、という考え方が本人周辺やファンにはあるのかもしれません。しかしそうした姿、決してかっこいいとはいえない様を見せることで、社会的制裁を受けていると感じてくれる人も現れるでしょう」
それだけでは済まないのでは?
「性急だと申し上げたのはその点が関係しています。私ならば今からでも遅くないので、ある程度の期間、例えば1年間の活動休止を宣言するよう進言します。その間に、何らかの社会貢献をすることも選択肢の一つでしょう。被災地の支援、あるいは求められているところでの慰問活動など。
ただ、パフォーマンスと批判されるリスクはありますから、自らアピールしては絶対にいけません。本当に関係各所に迷惑をかけた、申し訳ないという気持があるのならば、その気持ちを姿勢で示す必要があります。本気でやっていれば誠意は通じるでしょう。逆にそれを何らかの手段にしてしまえば見透かされるでしょうが。
彼ら芸能人に限らず、危機に際してはつい、一刻も早い回復、つまり再生をしたいと願うのは自然な気持ちです。しかし、再生を焦っては元も子もありません。もともと日本人には判官びいきという性質もあるのですから、ある程度落ち込んでしまってから再生を期するほうが結果としては当人のプラスになるケースが多い、ということは一般の方が危機に直面した際にも意識していい点かと思います」