「阪神大震災」直後の「川田vs小橋」3冠ヘビー戦…「敗者を生まない」名勝負が被災者に伝えたものは何だったのか
「試合をやって、本当に良かった」
果たして試合当日……一人、また一人と、観客が会場にやって来た。被害の大きかった神戸市東灘区から自転車でやって来た男性もいたという。その中には、滅多に会場には来ない、小橋の母親もいたという。息子に心配させまいと、元気な姿を見せに来たのだった。
第1試合終了後、リングにジャージ姿のジャイアント馬場が上がり、お見舞いの言葉を述べると共に、改めてチャリティー興行とした旨を言明。2階席の一部から、「ゼンニッポン」コールが起こった。メインが始まる頃には会場は約9割の観客で埋まった(※主催者発表で、5600人の満員)
試合開始は午後8時3分。川田と小橋は、リング中央でがっちりと手を組み合わせて力比べをすること3度。そして激しいチョップ合戦。互いに譲らぬ攻防にファンの声も上がる。20分、30分、40分……。
50分、小橋が最後の力を振り絞ってスパートをかける。パワーボムからムーンサルト。だが、王者川田もしぶとい。精根尽き果てたかと思わせ、浴びせ蹴り2発。そして、滅多に見せぬタイガースープレックスだ。残り3分には、小橋にジャーマンも2発。もはや目の焦点も合わぬ小橋は、ガラガラ蛇のようにグルグルと這い回った。「フォールの体勢に入られたらもう返せないと思ったから、とにかく動いた」のだと言う。当時の専門紙に、印象的な場面が綴られている。
〈『残り1分!』のアナウンスに、川田にずっと声援を送っていたファンが叫ぶ。「小橋! あと1分だ! 頑張れ! 頑張れ!!」〉
川田が小橋を捉える。その頭を股下に挟み、腰に手を回す。必殺のパワーボムだ。持ち上がるか!?
と思った瞬間、60分時間切れ引き分けのゴングが鳴らされた。二人とも大の字になった。
拍手するファンがいる。選手の名を叫ぶファンがいる。涙を流すファンも。グロッキー状態で仰臥する小橋の手がガッチリと握られ、大きく引っ張り上げられ、高々と掲げられ、また大歓声が起こった。それは、小橋に対する王者・川田からの最高の賛辞であった。川田は後日、神戸から自転車でかけつけたファンのことを聞き、こう答えている。
「あの被害の中で、そこまでして来てくれて……。試合をやって、本当に良かった。」
そして試合後、小橋は言った。
「僕らはリングの上から勇気づけることしか出来ないんです。でもたとえ60分の間だけでも、地震のことを忘れて貰えたら、プロとして本当に本望です」
後年上梓した自伝では、この試合を、こう振り返っている。
〈人間、誰でも必死に最後までやり抜けば、敗者にならずに終わることができる。むしろ引き分けだったからこそ、かえってみんなの力になれたような気がした〉(「小橋健太『青春自伝』熱き握りこぶし」より)
試合後の光景を付記しておきたい。自然発生的にコールが起こった。それは、第1試合で馬場が挨拶した時のそれとは比べ物にならないほど大きく、会場全体が一つになった、観客自身の鼓舞の叫びにも思えた。
「ゼンニッポン! ゼンニッポン! ゼンニッポン!……」
三冠統一ヘビー級選手権が、初めて60分時間切れの“引き分け”に終わった日。それは1995年1月19日、阪神・淡路大震災の2日後のこと。60分間、諦めずに頑張り続け、決して敗者を生まぬ熱闘だった。
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