「阪神大震災」直後の「川田vs小橋」3冠ヘビー戦…「敗者を生まない」名勝負が被災者に伝えたものは何だったのか
平成に入って激減したプロレスの試合結果
昭和から平成を境に、急に減ったプロレスの試合結果がある。それは両者リングアウトに代表される“引き分け試合”だ。
阪神大震災直後の3冠戦実現を決断し、満員の観客から「ゼンニッポン!」コールを浴びたジャイアント馬場の秘蔵写真
以前、筆者が精査したところ、新日本プロレスで両者リングアウトに終わった試合は、1988(昭和63年)年には73あったのに、翌1989(平成元)年は10に激減している。同じく無効試合は9から3に。
場外フェンスの外に出ると試合が終わる「両者フェンスアウト」は32から3に減っているが、平成元年5月にフェンスアウトというルール自体が廃止されたことも影響している。UWFに代表される格闘プロレスの隆盛もあり、時代は不透明決着ではなく、確実に試合の決着をつける方向に動いていた。
同じことは、全日本プロレスでも言えた。当時のジャイアント馬場の言葉である。
「ファンに一番喜んでもらえるのは、しっかりと決着がつく試合」。
代表的なものが、1991年4月20日におこなわれた6人タッグマッチだろう(ジャンボ鶴田、田上明、渕正信vs三沢光晴、川田利明、小橋建太)。試合タイムは51分32秒。60分1本勝負ながら、時間切れ引き分けに持ち込まなかったのである。
現行の三冠統一ヘビー級王座はPWF、インターナショナル、UNヘビー級の3つのベルトを1989年に一本化したものだが、これまた数々のWタイトルマッチを経た結果、統合されたものであり、言うなれば“完全決着の象徴”でもあった。事実、誕生から6年間、31試合の防衛戦が組まれたが、その全てで勝負がついていた。
ところが、32試合目の防衛戦となった1995年1月19日、大阪府立体育会館で組まれた三冠戦は違った。カードは王者・川田利明vs小橋建太。
川田にとっては初防衛戦であり、「小橋は大技を使い過ぎる」「誰とやっても似た試合に見えちゃう」と戦う前、辛辣に小橋を挑発。若手時代の小橋が道場で朝までテレビゲームで遊んでいると、ブレーカーごと川田が切ってしまったことがあった。「真面目に練習しろ」という叱咤だったのだが、こうした“因縁”も試合を盛り上げるには好材料だった。対して、2度目の三冠ベルト挑戦となる小橋は「今回はいい試合じゃなく、いい結果を出したい」と繰り返しており、完全決着は間違いなしと思われた――試合の2日前の朝までは……。
大会2日前に起きた大震災
30年前の1995年1月17日午前5時46分52秒、関西の街は、崩れた。
家具が倒れた。天井が落ちた。外に出ようとしても壁面がずれ、ドアが開かない。
コンパスで90度を描くように倒れていくビル。雪崩のように崩れる家屋。そして荒れた海のように波うち、倒壊していった高速道路。それは、震度7の地震だった。
火事が起きる。消防隊が到着し、ホースを取り付けた。だが、水が出ない。断水だ。水が出る古い消火栓まで辿りつく。だが、今度はホースとの規格が合わなかった。
取材のヘリコプターはたくさん飛んでいるのに、救助のヘリは一機だけ(※震災当日)。瓦礫の下から救助を求める声がする。その声を取材ヘリの爆音がかき消していった。
阪神・淡路大震災は6434人の、罪なき人々の命を奪った。
プロレス界でも、厳しい報告が続出する。
被害が甚大だった神戸市長田区、同東灘区に実家のある金本浩二と堀田祐美子は、家族は無事だったが、家屋は全壊。小橋も京都にいる母親と連絡は取れたが、兵庫に住む祖母とは翌日まで連絡が取れずじまい。小橋は不安な一夜を過ごした。
そして試合である。UWFインターナショナルは、4月9日に予定されていた神戸ワールド記念ホール大会を中止することに。全日本が試合をおこなう大阪府立体育会館近辺は、震度4と、神戸に比べれば被害は少なかったが、交通機関の混乱もあり、開催反対の声も社内から上がった。しかし、大阪では1989年4月に行われた鶴田vs天龍以来、5年9カ月ぶりの三冠戦の開催だった。テレビ中継の予定も入っていたが、よみうりテレビのクルーは、早々と撮影をキャンセルしていた(※全日本プロレスのビデオクルーは待機)。そして、王者である川田自身、こうコメントした。
「被害に遭われた方の気持ちを考えたら、やらない方が良いのではないか……。僕の気分としては、少なくともやりたくはない」
だが全日本は前日、大会の決行を発表した。
「この状況下では、情報が伝わるかもわからない。もし無理をして来てくれたファンがいたらどうするのか?」「この大会を楽しみにしてくれていたファンがいたら……」という配慮からだった。「たとえお客が1人でも、大会は決行する」とし、選手のギャラやチケットやグッズの売り上げを義援金に回す、チャリティー興行とすることも宣布された。
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