“見栄”の民主主義はもろかった… 現職大統領の逮捕が招く「韓国」左右対立の激化

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「アフリカと同じ」

――知識人はどう考えていたのでしょう?

鈴置:普通の人と似たようなものでした。当時、民主化を唱える政治家からも、私的な席ですが「日本並みの民主主義は難しい」と聞かされ、驚いたことがあります。

 ただ、知識人は「軍人が政治の実権を握っていることは恥ずかしい」とも考えていました。「アフリカの後進国と同じじゃないか」と日本人に言われないか、気にする人が多かった。その頃、アフリカには西洋からの独立後、軍人がクーデターで権力を握った国が数多くありました。

 高麗も李氏朝鮮も国を建てたのは軍人ですが、統治は一貫して文官が担った。わずかな例外を除いて、朝鮮半島の歴代王朝は文官支配だったのです。「韓国人にとって、軍人が権力を握るのは文官優位の伝統から外れた異常事態なのだな」と思ったりしたものです。

 昨年末の戒厳令を批判した嶺南大学のキム・ヨンス教授は朝鮮日報への寄稿で「あっと言う間に軍部の反乱がのさばるアフリカや南米の後進国に転げ落ちた」と嘆きました。

 民主化以前の韓国を知る者にとって「アフリカ並み」とは懐かしい表現です。「【朝鮮コラム】帝王的大統領と87年体制の終焉」(12月11日、韓国語版)で読めます。

 要は、知識人の先進国コンプレックスと、普通の人の怒りが合わさって民主化の原動力となったのです。韓国と同じ頃に権威主義体制を脱した台湾が、着実に民主化を進めているのと対照的です。

 台湾の民主化は人権状況の改善といった希求に加え、大陸からやってきた国民党に運命を決められたくない、という自決への渇望に裏打ちされていました。

 日本の戦後民主主義も「あんな悲惨な戦争はニ度と起こしてはならない」との強烈な思いに支えられました。民主主義の定着には強烈な「思い」が必要なのでしょう。

政権交代=民主主義

――興味深い議論ですね。

鈴置:「思い」に関心をお持ちの方は『韓国消滅』の第2章第4節「台湾の民主化は進んだのに……」をご覧ください。

――それでも韓国人は「日本以上の民主主義を実現した」と胸を張ります。

鈴置:戒厳が宣布されても、まだ、そんなことを言っています(「戒厳令が宣布されても『韓国すごい』『米国人や日本人より民度が高い』と誇る韓国人」参照)。先進国の称号を手放したくないのです。

 胸を張りだしたのは2010年頃からです。経済でも外交でも日本を追い越した、という認識が韓国社会に広がりました。同時に「民主主義でも韓国は日本よりも上」との意識が定着したのです。

 理由は「韓国は政権交代するが、日本はしない」です。1987年の民主化は軍人の長期執権を阻止するのが主眼でした。この結果、韓国人は「政権交代してこそ民主主義」と信じるに至ったのです。

――日本も政権交代しているのですが……。

鈴置:ええ、自民党も1993―1994年と2009―2012年に2回下野しています。しかし韓国人の多くは「自民党は戦後、一貫して政権を独占してきた」と信じている。そういうことにしないと「政権交代する韓国の方が上」にならないからです。

大正デモクラシーを無視

――自分の主張に合わせて事実を曲げるとは……。

鈴置;それが韓国という国です。同じ手口の言説に「韓国はアジアで唯一、自力で民主化を成し遂げた国」というのがあります。これも「日本よりも韓国が上」の証拠になっています。

 伝統あるタイの民主主義も無視しています。大正デモクラシーも無かったことにして、今では「日本は米国によって民主化された国」が韓国での定説です。

 韓国人も昔は分かっていました。『韓国消滅』の第2章第1節「『先進国』の称号欲しさから民主化」で紹介していますが、日本の大正デモクラシーを高く評価する韓国の学者に会ったことがあります。

 日本の戦後民主主義は大正デモクラシーの経験と、その蹉跌があってこそ確かなものになった、と言うのです。韓国の民主化直後に聞いた話です。

「大正デモクラシーの蹉跌と同様に韓国の民主主義もいつ、挫折するか分からない」との前提で語っていたのが印象的でした。まさに、この学者の懸念通りになってしまったのですが。

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