“見栄”の民主主義はもろかった… 現職大統領の逮捕が招く「韓国」左右対立の激化
ベネズエラなのに「日本より上」
――対立が激しくなる一方です。
鈴置:ええ、貶められた大統領側――保守は左派と徹底的に戦うでしょう。保守の中にも戒厳令は間違いと考える人はかなりいた。でも、彼らの多くは今後、左派との戦いに参じるはずです。
戒厳令と、それに続いた左右対立の激化により韓国の民主主義はボロボロです。対立が民主主義を安定させるクッションを壊し、それがまた、対立の激化を招く――という悪循環です。
韓国は「アジアのベネズエラ」の道を着実に歩んでいます(「ベネズエラ化する韓国 3年前に鈴置高史氏が「民主主義の崩壊」を予言できたワケ」参照)。
――韓国人は「日本と異なり、自力で民主主義を実現した」と誇ってきました。
鈴置:韓国人は本当に民主的な政体を欲しているのか、実は先進国という称号が欲しいだけではないのか――と私は疑っています。『韓国消滅』の第2章「形だけの民主主義を誇る」で詳しく説明しています。
――「先進国の称号が欲しいだけ」という疑いを持ったのはいつですか?
鈴置:3年前のことです。2022年2月、ロシアがウクライナに侵攻しました。日本は西欧に比べればささやかですが、ウクライナへの支援に乗り出しました。
すると韓国メディアの東京特派員が一斉に「日本には下心がある」「国連安全保障理事会の常任理事国の座を狙っている」と書いたのです。
東京特派員らは「何か自分に得になることがあって初めてウクライナを助ける」と告白したに等しい。自由と民主主義を大事にする人なら、権威主義国家に侵略された民主主義国家の側に立つのは自然な動きです。というのに、韓国人にはそこが分からない。
実際、米国が西側の国に対ロ制裁に加わるよう要請した時も、韓国だけは唯一、加わろうとしませんでした。米国からこっぴどく怒られて、しぶしぶ加わったのですが。
当時は左派、文在寅(ムン・ジェイン)政権でしたが、次の大統領になる尹錫悦氏も、保守の大統領候補として「経済制裁などにより、我が国の企業が被害を受けないよう徹底的に備えねばならない」と語っていました。国を挙げて対ロ制裁から逃げ回ったのです。
民主化の原動力は怒り
――なるほど。韓国人が民主主義を大事にしているとは言えませんね。
鈴置:国にはそれぞれ事情がありますから、一律に対ロ制裁に加われとは言えません。でも、韓国は北朝鮮から侵略された時、多くの西側の国に助けられたから国を守れたのです。
米国をはじめとする西側の国は韓国の自由と民主主義を守るために朝鮮戦争に参戦し、自国民の命を犠牲にしました。対ロ制裁に加わらない韓国に対し、米国が烈火のごとく怒ったのは当然でした。
日本の下心を疑った特派員たちと、対ロ制裁からの逃避――。韓国人には自由と民主主義を大事にする意思が無いとしか思えません。
――では、1987年の民主化の原動力は何だったのでしょうか?
鈴置:平気で学生を殺す独裁政権への怒りでした。1979年に強権的な朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が暗殺された後も、韓国では軍人が政権を握りました。1987年の大統領選挙も政権に有利な間接選挙で実施する予定で、またもや軍人が大統領に就任する可能性が高かった。
そこで直接選挙制に変えるよう野党が要求。学生も加わり、連日のように大規模なデモを繰り広げました。そんな中、警察の拷問で学生1人が死亡し、その抗議のため街頭闘争に出た学生1人が催涙弾の水平射撃でさらに殺されました。
これには普通の人も怒りだしました。それまで「街の人」の多くは「我が国は北朝鮮と準戦時体制にある。共産党まで認めるような日本の水準の民主主義を実現するのは難しい」と考えていました。しかし軍事政権が学生を平然と殺すのを見て「これは許せない」と怒りが爆発したのです。
翌1988年にソウル五輪を控えていたこともあり、政権側も譲歩して直接選挙制を導入しました。これが現在の韓国の民主政治の出発点となりました。私が現場で取材していた時の実感を思い起こせば、普通の人たちが必ずしも民主主義を希求していたわけではないのです。
[2/4ページ]