「90歳を過ぎて経営の最前線にいても“老害”と言われなかった」 スズキを第一線で主導してきた「鈴木修さん」が“稀有なカリスマ経営者”と言われる理由

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インドで成功できた理由

 さらに82年、インド進出を決定。自動車産業を誘致しようと来日していたインド政府の使節の宿泊先を鈴木さんが訪ね、じっくり親身に話したことがきっかけだった。インドの一行は他社とも会ったが、形ばかりの応対であしらわれていた。

 83年からインドで生産を開始、現地部品メーカーも育て自動車産業を根付かせた。現在でもスズキはインドで販売台数の約4割を占め、シェアは1位。インドでの事業は重要な柱である。

「鈴木さんは偶然の産物と話していましたが、最大の功績でしょう。インドそのものが進出先として未知数の時代に、人間同士、心は通い合えると、日本式の工場運営や経営を定着させた。我慢強かった」(村田さん)

 インドへは300回以上訪れ、現場主義を実践した。

「インドでトップに立ったことを誇りにしても、大企業になったと勘違いしたら転落だと戒め、大手と競わず軽に集中した」(村田さん)

「鈴木さんの引退が最大の経営リスク」

 70歳を迎えた2000年、社長を勇退し会長に。経済産業省出身で、長女の夫である小野浩孝さんをスズキ入りさせ、将来の社長にと考えたが、07年に小野さんは膵臓がんで急逝してしまう。

 08年、会長と兼務する形で社長に復帰。15年、長男の鈴木俊宏さんに社長を継がせ、会長として見守る。この時期、トヨタ自動車との提携交渉を進め、19年に資本提携で合意している。

「創業家同士が親しく発祥の地も近い。車の電動化などスズキ単独では太刀打ちできない分野があると分かっていた」(村田さん)

 21年、相談役に退く。

「鈴木さんの引退が最大の経営リスクともいわれていました」(小宮さん)

 昨年12月25日、悪性リンパ腫のため94歳で逝去。

「逃げずに危機感を持ち続ける、圧倒的強みのある商品で市場を生み出し維持する、コストカットを外部に押し付けない、といった鈴木さんの経営哲学は、今もあらゆる業界で参考になる。晩節を汚すことのなかった稀有(けう)なカリスマ経営者でしょう」(村田さん)

週刊新潮 2025年1月16日号掲載

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