「吉原をおしゃれスポットに」 「べらぼう」蔦屋重三郎はスーパービジネスマンだった! 現代でも役立つ仕事術に迫る

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吉原を最新おしゃれスポットに

 蔦重の仕事ぶりは驚くほど今日性に富んでいる。江戸の本屋と捉えるより、現代のカタカナ職業に重ねた方がしっくりくる――。

 蔦重はまず、パブリッシャーとエディターを兼務し、大ヒット作や話題作、問題作を量産した。そのためには、プランナーとしてのアイデア、作者の力量を引き出すディレクターの手腕が不可欠。加えて本をどんなターゲットに、どう売り込むかというプロデュース力にも卓越していた。

 しかも、蔦重はデベロッパーだった。前述したように、彼は吉原で生まれ育っている。20代初年に本屋稼業をスタートさせた蔦重は、さっそくホームグラウンドに新たなバリューを付加しようと動き出す。

 蔦重はタウンガイド「吉原細見(さいけん)」のデザインを改良、遊郭や遊女の詳細かつ正確なデータ、マップを満載して吉原集客に貢献してみせた。

 次いで遊女をモデルに豪華なビジュアルブック(名鑑)を制作する。吉原の主役は遊女、とりわけ高級遊女の花魁は才色兼備の高嶺の花。彼女たちはファッションやアクセサリー、ヘアスタイルなどに贅(ぜい)を凝らしていた。

 これに男客どころか江戸の町娘が飛びついた。遊女がファッションリーダーとして注目を集め、吉原は性の歓楽街だけでなく、最新おしゃれスポットとしても認知されるようになった。

 蔦重は出版物で吉原とのタイアップに成功し、遊女をインフルエンサーに仕立て上げたわけだ。

江戸のライトノベル

 30代の蔦重は黄表紙で戯作のメディア化を一層推進する。黄表紙は安永期(1772~81年)に登場した肩の凝らない軽文学。ユーモアとエスプリ、ナンセンスを散りばめた絵草紙だ。

 それまでの絵草紙は子ども向けの“絵本”だった。ところが黄表紙はヤングアダルトをターゲットにした、トレンド情報満載のエンタメ本に一新される。体裁は浮世絵(ビジュアル)中心、文章もポップ感覚にあふれ、いわば江戸のコミック、あるいはライトノベルといっていいだろう。

 江戸の青年たちは蔦重のリリースする作品を心待ちにした。京伝の「江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)」はその白眉だ。他にもベストセラーは数多く、馬琴が唐来参和(とうらいさんな)作「天下一面鏡梅鉢」の人気ぶりを書き残している。

「板元蔦屋へつめかけて、朝より夕まで恰(あたかも)市の如し。製本に暇(いとま)なければ、摺本の濡れたるまゝ、表紙と糸を添て売わたしたり」(「近世物之本江戸作者部類」)

 摺ったばかりで墨の乾かぬまま売ったというのだからすさまじい。

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