「吉原をおしゃれスポットに」 「べらぼう」蔦屋重三郎はスーパービジネスマンだった! 現代でも役立つ仕事術に迫る

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発言や思想は明文化されていない

 かくいう私は2024年秋、新潮選書『蔦屋重三郎 江戸の反骨メディア王』を上梓した。2016年には時代小説『稀代の本屋 蔦屋重三郎』、つい先日まで日刊ゲンダイに「蔦屋重三郎外伝」を連載と3度にわたって蔦重を描いてきた。

 実のところ、蔦重の足跡は生没と出版に関わる業績が判明しているのみ。彼の発言や思想はほとんど明文化されていないし、同時代人による詳細な伝記が記されたわけでもない。執筆にあたっては、蔦重の仕事ぶりをていねいになぞりながら、時に想像も交えて記していく必要があった。

アイディアマンで誠実な人物

 もっとも蔦重の人となりに関しては若干の資料が残っている。彼の逝去にあたって、狂歌で鳴らした石川雅望(いしかわまさもち・宿屋飯盛〈やどやのめしもり〉)が「喜多川柯理墓碣銘(からまるぼけつめい)」を起草した。ちなみに喜多川柯理とは蔦重の諱(いみな)、喜多川は育ての親とされる父方の叔父の姓だ。

 墓碣銘を意訳しよう。

「事をなす意気込みと秀逸な企画力」

「些事を気にせず信をもって人と接した」

 本人の墓の隣に建てる碑に悪口を並べるわけがないだろうから、少し眉に唾する必要はあろう。しかし、蔦重がバイタリティー溢れるアイディアマンで、他人の欠点に目をつむり、誠実で偽りのない人物と評価されていることに、わざわざ異議を挟む必要もあるまい。

 さらに、蔦重の母の顕彰文にも彼の面影がのぞく。

「重三郎の節を固く守る強い意志は母の教育のおかげ」

 これを起草したのは江戸を代表する文人の大田南畝。彼もまた蔦重と親密な関係だった。それを差し引くとしても、やはり蔦重は意志堅固で果てなき渇望を追い求めた人物と捉えてみたくなる。

 もう一つ、馬琴が戯作者や浮世絵師を評論した「近世物之本江戸作者部類」で蔦重に触れている。

「文雅を愛する心を持たぬが、世渡り上手で文人たちに愛され、彼らの本を刊行して時流に乗り、十余年の間に立身出世し江戸で一、二を争う本屋になった」

 かなり辛辣な筆致だが、蔦重のビジネスマンとしての資質と稼業の繁盛ぶりはよくわかる。余談ながら、馬琴は1年ちょっと耕書堂に勤務していた。蔦重の晩年期に作品を出版してもらっており、京伝のゴーストライターも務めた。

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