日ハム5位指名の「守備職人」は“偏差値75”の難関校出身 早大「山縣秀」が語る“すぐには試合に出られなかった選手”がドラフト指名されるまで

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「ドラフト指名に見合う努力を続けた1年」

「今できることに注力するのが、結局は目標までの一番の近道かもしれません」

 目標達成の秘訣をこのように語った山縣が、プロ野球選手になる自分の姿を初めて意識したのは、金森氏と打撃フォーム改造に取り組んでいた2023年冬のこと。とある社会人チームの監督に、プロ入りの意思を尋ねられたのがきっかけだった。

「当時は、自分がドラフトで指名されることへの現実味はあまり感じていませんでしたが、プロ指名を待つからには、それに相応しい努力をしながらの日々を過ごさなければならないと思いました」

 金森助監督との打撃フォーム改造に加えて、ウエイトトレーニングにも力を注ぎ、昨冬に70kgだった体重は約80kgまで増加。「これまでの歴史の重みを感じる」と話す早稲田のユニフォームに袖を通し、熾烈な優勝争いを繰り広げる中で、己の実力も高めていった。
 自身のプロ入りについては「週末に行われるリーグ戦に集中していたので、ドラフトのことを考える余裕が出てきたのは、本番の数日前でした」としつつ、「『おそらく指名されないだろう』と思っていたので、過度に期待せず、視聴者の目線で中継を見ながら平常心で過ごせた」と話すが……。

「普段はほとんど夢を見ない」という山縣も、本番を控えた時期に一度だけ、ドラフトにまつわる夢を見たという。

守備でご飯が食べられる選手

「ドラフト会議で、自分よりも先に下級生が続々と指名を受けていく夢でした。現実離れした状況を『どこかおかしいな……』と思って静観していると、やがて僕も指名を受けて。安心した瞬間に目覚めて、夢だと気付かされました」

 実際のドラフトでも北海道日本ハムファイターズから5位で指名を受けた山縣は、小学校の卒業文集に書いた夢を実際に叶えると、「エスコンフィールドHOKKAIDOで行われた東京六大学野球のオールスターゲーム(2024年9月)に参加し、『この球場でプレイ出来たら……』と思っていたので、本当に嬉しかったです」と安堵の表情を浮かべた。

 早稲田大学の小宮山悟監督は、かつて共に千葉ロッテでプレーし「平成の牛若丸」と称された小坂誠氏を引き合いに出しながら、山縣を「守備でご飯が食べられる選手」と表現したことも。2025年はプロの舞台に活躍の場を移すこととなるが、山縣が持ち味とする忍者を彷彿とさせるアクロバティックな動きや、難しい体勢からの送球は、きっと多くのファンを魅了し、賞賛を浴びることになるだろう。

「プロ野球のレベルの高さに驚いたり、どこかでつまづいたりすることもあると思いますが、それも全て勉強だと思います。若い選手が多いチームなので、自分らしさも大切にしながら、1年間怪我をせずに全力でプレーしていきたいです」

 神宮を沸かせた守備職人は、北海道でのさらなる飛躍を誓った。

第1回【「偏差値75」の難関高からプロ野球選手に! 早大「山縣秀」が明かす「夏休みは毎日10時間、勉強に打ち込んだ」文武両道のススメ】では、早大から日ハムに入団した山縣選手がどのようにして文武両道を成し遂げ、難関校合格を果たしたのか、その秘密に迫ります。

ライター・白鳥純一

デイリー新潮編集部

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