日ハム5位指名の「守備職人」は“偏差値75”の難関校出身 早大「山縣秀」が語る“すぐには試合に出られなかった選手”がドラフト指名されるまで
今年も新たに122名(支配下69名/育成54名・うち育成指名1名は、辞退し大学進学)の選手がプロ野球の世界に足を踏み入れようとしている。
日本ハムから5位指名を受けた早稲田大学の山縣秀選手は、偏差値75の難関高・早稲田大学高等学院(以下、早大学院)の出身で、同校のOBとしては1957年オフに中日に入団した森徹氏以来となるNPB入りを実現させたことでも注目を集めた選手だ。
文武両道を貫きながらも、どのようにしてドラフトの指名に至ったのか。大学時代の軌跡に迫った。(全2回のうち第2回)
【文武両道】難関校・早大学院から早大野球部を経てプロ野球選手になった山縣秀選手の姿
負けられないな
山縣は早大学院を卒業後に早稲田大学商学部に進学し、一般生として野球部の門を叩いたものの、入団間もない1年の春は、新人選手の登竜門となっているフレッシュリーグへの出場は果たせず。特に下級生の頃は、スポーツ推薦で入学した選手らと比べて与えられたチャンスは少なく、アピールの機会も限られていたという。
「自分がすぐに試合に出られる選手ではないことは分かりきっていたので、チャンスが限られる中でも前向きに頑張ろうと思えました」
だが、チームの雑用などの仕事をこなしながらもコツコツと積み重ねた努力が身を結び、1年生夏の紅白戦で大活躍。大きな自信と共に存在感を示した山縣は、2年生の春にベンチメンバー入りを果たすと、続く秋のリーグ戦で遊撃手のポジションを獲得。試合では巧みな守備を度々披露し、チームのピンチを救うこととなった。
「2年春からは同級生の印出(太一)、吉納(翼)が試合に出ていたので、『負けられないな』という気持ちはありましたが、もともと失うものがない状態からスタートしていたので、怖いもの知らずな気持ちでやれたと思います」
金森栄治氏の指導で打撃が開花
レギュラーを掴んだ2年生(2022年)秋のリーグ戦では10試合に出場。「打つのが難しそうな投手に対しては、セーフティバントを試みたり、変化球に的を絞ったり、何とかして塁に出るつもりで打席に立った」という打撃面でも、打率.294の活躍を見せ、その後も定位置を守り抜いたが……。大学3年秋のシーズンには、打率.200と低迷。不振を経験することとなった。
「それまでは自分の打撃フォームを変えたくない思いが強かったのですが、何かを変えないといけないと感じました」
山縣が暗闇から抜け出すきっかけを求めた先は、井口資仁や和田一浩らを育てた名打撃コーチとして知られ、2023年からはコーチ、助監督としてチームの指導にあたる金森栄治氏だった。
金森氏と共に空のボールケースが何箱も積み上がるまで打撃練習を重ねた山縣は、体幹と足を使って「小さく、強く、速く振る」意識を持ちながら、強い打球の打てるフォームを身につけ、バッティング技術に磨きをかけていった。
そして、迎えた4年(2024年)春のリーグ戦では、打率.366をマークし、チームの7シーズンぶりのリーグ優勝に貢献。自身初のベストナインも獲得した。さらにこの年の夏には、大学日本代表にも選出され、「西川史礁(青山学院大→千葉ロッテ1位)や渡部聖弥(大商大→埼玉西武2位)といった自分よりもパワーがあり、素晴らしい技術を持つ選手たちから多くの刺激を受けました」と語るなど、さまざまな経験を力に変えた山縣は、プロのスカウト陣からの評価を日に日に高めていった。
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