妻の親友との「一夜のあやまち」は、洗脳計画の一環だった… 46歳夫が語る“家庭崩壊”とそのてん末
康子さんからの突然の連絡
昨年秋、康子さんから突然、連絡があった。桃子さんが亡くなったのだという。康子さんの狼狽があまりにひどかったので、彼は住所を聞いて会いに行った。
「離婚後、康子と桃子さんはべったり一緒にいたようです。もともと共依存的な関係だったんでしょう。康子が僕と結婚したため、一時期、距離ができたけど、それに我慢できなかった桃子さんは僕を誘惑して康子を離婚させた。その後も桃子さんは、康子をいいように使っていたみたいです。掃除をさせたり食事の支度をさせたり。桃子さんのほうがずっと収入があるのに康子からお金を借りたりもしていたらしい。でも康子は尽くすタイプですから、文句も言わずに桃子さんにくっついていた」
そんな桃子さんが病気になったのは離婚から2年ほどたったときだった。身寄りのない桃子さんを康子さんは必死に看病して励ました。
「でも桃子さんは康子に感謝ひとつせず、いつも怒鳴ったりモノを投げつけたりしたらしい。体が思うようにならないからイラついていたんでしょうが、それでも康子は耐えていた。でも周りがおかしいと思い始めたようですね」
“依存”は解けても
桃子さんの入院していた病院で、看護師や医師たちが動いてくれた。ある種の洗脳だったのだろう、康子さんは徐々に「自分と桃子さんとの関係はおかしい」という意識を持ち始めた。
「入退院を繰り返す桃子さんのめんどうをみていたものの、ある日を境に康子は病院へ行かなくなった。桃子さんにも、きちんと自分たちの関係を考えてもらいたかったようです。彼女の病気は治ると信じていたからこそでしょう。でも桃子さんは、康子への憎しみだけを抱いてある日、急に容態が変わり亡くなってしまった……。康子がどれほどつらいか、僕にはよくわかる気がしました」
康子さんが全身で寄りかかってきていた。とはいえ、滋和さんに支える気力はなかった。実家に戻ったほうがいいと彼は言った。
「彼女の育った家庭はごく普通でしたし、親との確執もなかったはずだから、それがいちばんいいだろうと思いました。僕には彼女を支えられない。僕自身、あの結婚生活への総括はすんでいなかったし、それなりに傷も痛んでいたから」
桃子さんの葬儀までは手伝ったが、それ以上は勘弁してほしいと告げた。康子さんは悲しい目でじっと彼を見ながら去っていったという。
「今も思い出すと胸がぎゅっとつかまれるように痛いです。本当は康子を助けるべきではなかったのか。でもそもそも、僕には康子と桃子さんの関係が理解できなかった。桃子さんと関係をもったのは事実だから、僕もいけなかったとは思うけど」
ひとりがいちばん気楽かもしれない。そう言って彼は寂しそうに笑った。
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最後の滋和さんの台詞は、彼のこれまでの生き方を知ると、切ないものがある。その過酷な人生は【前編】で紹介している。
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