妻の親友との「一夜のあやまち」は、洗脳計画の一環だった… 46歳夫が語る“家庭崩壊”とそのてん末
【前後編の後編/前編を読む】父が再婚したのは“母を自死に追い込んだ相手”だった 「誰かに必要とされたかった」46歳男性が生き方を見つけるまで
母は父の不倫を気に病み自死し、当の父は不倫相手と再婚、継母と共に無関心を貫いた――。そんな幼少時代を過ごした森田滋和さん(46歳・仮名=以下同)は、現在、介護関係の会社を営んでいる。起業の動機は「誰かに必要とされたかったから」。ようやく自分の「生き方」が見えたのは、高校卒業後にキャバクラのボーイの職に就いた時だった、と自らの半生を振り返る。そんな彼がうつで入院するにまで至った出来事とは……。
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【前編を読む】父が再婚したのは“母を自死に追い込んだ相手”だった 「誰かに必要とされたかった」46歳男性が生き方を見つけるまで
ラウンジボーイとして彼は生き生きと働いていた。いつしかボーイの中でも中堅の域に入り、他店からスカウトされたこともある。だが彼は尊敬する先輩のもとを離れようとはしなかった。
「店の女性たちとの恋愛は御法度です、もちろん。だけど気になる女性ができてしまった。もちろん彼女は僕のことなど恋愛対象として見ていません。それはわかっていたけど片思いが苦しかったですね。彼女はよく相談をもちかけてくるんです。恋愛相談が多かった。電球が切れたと言われて、家に上がって取り替えたこともあります。そのとき彼女がいれてくれたコーヒーがおいしかったのをよく覚えています」
ただ、彼女は客との恋愛がうまくいかず、いつしか店に来なくなった。生きていてくれればいいけど、と彼は消え入りそうな声で言った。
「7年くらい働いて、それなりに収入もあったし仕事も好きだったんですが、ふとこの先、ずっと続けていくのかと考えると疑問がわいた。人生を教えてくれた先輩が、あるとき故郷に帰ることになったのも大きかったですね。しっかり生きていけよと言われて、このままここにいても意味がないかもしれないと思い始めました」
25歳にして「生き切った」
そのとき彼は25歳。まだ25歳なのだが、彼としては「もう生き切った気さえしていた」という。それだけ過酷な人生だったのだろう。
「ちょうどそのころ介護制度が始まるということで世間が話題にしていた。介護って何だろうといろいろ調べて、ヘルパーの資格をとろうと思いました。資格なんて興味がなかったのに、少し将来を考えていこうという気になったんですよね」
店を辞めるとき、働いている女性たちからたくさんのねぎらいの言葉をもらった。みんなで花を贈ってもくれた。ここが自分の居場所だったのかもしれないと思ったが、もう後戻りはできなかった。
「その後は介護関係の資格をとり、現場で働き、さらに上の資格をとるということを繰り返してきました。これが自分の生きる道かどうかはわからなかったけど、現場での『ありがとう』はいつでもうれしかった」
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