父が再婚したのは“母を自死に追い込んだ相手”だった 「誰かに必要とされたかった」46歳男性が生き方を見つけるまで
転校先でひとり暮らし
ここから飛び降りたらどうなるんだろうと屋上から下を見ていたこともある。自分なんか生きていてもしかたがない。ふっと魔の手が忍び寄る。死に神に魅入られたような感覚だった。
「学校の向かいにパン屋さんがあったんですよ。暗い気持ちでそこに寄ったら、いつも明るい店のおねえさんが、『どうしたの』と聞いてくれた。寮にもバスケ部にもなじめない。そう言って僕、泣いたんです。そうしたら彼女が僕の頭をじっと抱きしめてくれた。ああ、僕は母が死んだときも泣かなかったなあと思い出した。気持ちが動かなくなっていたんでしょうね」
救われた気持ちにはなったが、根本的な解決には至らなかった。結局、滋和さんは退学して、別の高校へ転入、近くにアパートを借りてひとり暮らしを始めた。一応、親と同居することになってはいたが、もちろん父も継母も来ることはなかった。
「父はそこそこ収入があったのか、あるいは継母がお金を持っていたのかわかりませんが、学費と生活費は出してくれていました。自分たちの生活が脅かされなければいい。そんな感じだったんでしょう」
「昼間の仕事はできない」
なんとか高校だけは卒業したが、人生での目標は見えなかった。そこから彼はなぜか水商売へと入っていく。
「昼間の仕事はできない。なんとなくそう思っていました。たまたま東京に出てきて歓楽街を歩いていたら、とある店でボーイさん募集という貼り紙を見たんです。今で言うキャバクラですね。そこのスタッフになりました」
ラウンジボーイといわれるその仕事は、営業の準備に始まり、働く女性たちと客をマッチングさせたり、ときには女性たちの愚痴を聞いたりと幅広い。彼はまずは掃除と雑用を任された。「どうしたことか」その仕事がはまった。
「やっぱりアシストに徹すると自分が気持ちいいんですよ。店ではあくまでも主役は女性たち。彼女たちを輝かせるために、そしてお客さんに快適に過ごしてもらうためになにをしたらいいか。それはしょっちゅう考えていました。先輩のボーイさんにすごい人がいて、彼には本当にいろいろ教えてもらいました。仕事だけじゃなく、生き方を教わった」
ようやく自分の「生き方」が見えてきたような気になったと彼は言う。
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何とか希望の光が人生に差し始めたかに思える滋和さん。だがその後の出会いと事件が、より一層の混沌をもたらすことになり……。【後編】で詳しく紹介している。
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