父が再婚したのは“母を自死に追い込んだ相手”だった 「誰かに必要とされたかった」46歳男性が生き方を見つけるまで

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家出をしても…

 1年も経たないうちに、父は再婚した。子どもにはわからなかったが、母を自殺に追い込んだ女性と一緒になったのだ。さすがに父もいたたまれなかったのか、再婚と同時に引っ越し、姉と滋和さんは転校を余儀なくされた。

「転校先ではいじめられました。でも家ではその話はできなかった。僕が10歳のとき兄は高校を卒業して就職、家を出て行きました。姉は高校を中退して、家には帰ってこなくなった。父と再婚した女性との間に女の子が産まれ、ふたりは赤ちゃんに夢中でしたね。そのころだったかなあ、酔った父が『滋和はオレの子じゃないんだ』と妻に言っているのを偶然、聞いてしまった。本当かどうかはいまだにわかりませんが、そんなことも両親の不和に関係していたのでしょうね」

 小学校6年生のとき、ふとなにもかも嫌になって家出をした。ろくにお金ももたずに出たからお腹がすいて、結局、一晩を外で過ごして未明には帰宅したのだが、家には何の変化もなかった。

「警察に行方不明届を出すとか、そのくらいはしているかと思ったけど家は静かなままでした。当時の田舎のことだから鍵もかけてない家に入っていって、いつものように寝ました。起きたら誰もいなかった。父は仕事に出かけ、継母は子どもを連れてどこかに行ったみたい。僕がいてもいなくても誰にもなんの影響もないんだと身に染みました」

 それでも継母の機嫌をとろうと、妹のめんどうをみようとしたこともある。だが継母は彼が自分の子に触れるのをいやがった。

退学にも無関心

「中学に入ってから部活でバスケットボールを始めたんです。そこから少しだけ人生が変わった」

 バスケットが性に合っていたのだろう、彼はめきめき上達して1年生の秋にはレギュラーポジションを勝ち取った。背はそれほど高くなかったが司令塔としての役割を担った。

「コーチにも先輩にもしごかれましたが、自分がアシストして誰かがシュートを決めてくれるのがたまらなく気持ちがよかった。僕は自分が主役になるよりアシストが向いているのかもしれないと痛感しました。そうだ、そういう人生もありだと」

 高校は少し離れた私立高校からバスケット部に推薦される形で入学した。ところがその学校の全寮制での生活と、バスケ部の雰囲気になじめなかった。ちょっとうまくいくと挫折する、その繰り返しの人生だったと彼は苦しそうに言った。辞めて家に帰ればすむという話でもなかった。バスケ部の退部はそのまま退学へとつながっていく。

「親にも連絡がいったようですが、あの人たちは『本人に任せます』と言ったようです。それは僕への信頼ではなく、無関心そのもの。どうしたらいいのか悩んだとき、ふっと母の元へ行きたいなと思いました」

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