父が再婚したのは“母を自死に追い込んだ相手”だった 「誰かに必要とされたかった」46歳男性が生き方を見つけるまで
【前後編の前編/後編を読む】妻の親友との「一夜のあやまち」は、洗脳計画の一環だった… 46歳夫が語る“家庭崩壊”とそのてん末
「人を人とも思わない」という言葉があるが、実際、相手を尊重するのはむずかしい。時に人は自分の都合のいいように相手を動かしたくもなるし、天才的にそういうことが得意な人もいる。
恋愛や結婚においても、お互いを理解しあっているのだろうかと疑問がわくこともある。尊重とか理解とか、言葉ばかりが先走りして、相手を愛すること、大切に思うことが自分の視点でしか語れないのかもしれない。自分は相手を愛しているが、相手から見たら「愛されていない」と思うことは多々あるのだろう。
【後編を読む】妻の親友との「一夜のあやまち」は、洗脳計画の一環だった… 46歳夫が語る“家庭崩壊”とそのてん末
森田滋和さん(46歳・仮名=以下同)は、介護関係の事業を手がけている経営者だ。小さな会社だと謙遜するが、彼が介護の仕事を始めたのは「誰かに必要とされたかったから」という純粋な動機だった。
「いつも、僕はここにいるよと声にならない声を上げながら生きてきたような気がするんです。だから直接、相手にありがとうと言われる介護の仕事はやりがいがあった。それなのに今、また僕は誰にも必要とされていないと実感しています」
母の死で「何重にもショック」
一時期はうつ状態で入院したこともあるという。最近、ようやく社会復帰したところですと少し情けない笑みを浮かべた。彼の衝撃的な記憶は40年以上前に遡る。
「僕は兄と姉のいる3人きょうだいの末っ子として育ちました。父は職人でしたが気難しい人で、口より先に手が出るタイプ。夜中にふと目が覚めたら、両親がケンカしていて、母が殴られているのを見たのが、僕の最初の記憶。3歳くらいですかね。ぎゃあぎゃあ泣いて、父に突進していったら投げ飛ばされた。そんな僕を母は体でかばってくれました」
幼心に母を守らなくてはと思った。兄とは8歳、姉とは6歳離れていたからか、きょうだいの間では常に疎外感があった。そんな彼の気持ちを見越してか、母は彼を尋常ではないほどかわいがってくれたという。ところがその母が急逝した。彼が小学校2年生のときだ。学校に連絡があり、慌てて帰宅すると家は空だった。近所の人が病院に連れて行ってくれたが、母はすでに冷たくなっていた。
「そのときは知らなかったんですが、しばらくたって近所の人から母が自殺したと教えられました。どうやら父に女性がいて、それを苦にしていたようです。家にお金を入れなかったのかとも思いましたが、そうではなく母は父を心から愛していたらしい。この件で、僕は何重にもショックを受けました。母は父にいじめられているから守らなくてはいけないと思っていた自分の気持ちが、実は正しくなかったこと、そして僕をあれほどかわいがってくれた母が僕を残して逝ってしまったこと……。自分の存在がどれほどちっぽけなものなのかと虚無感に襲われました。もちろん、当時はそんなふうに言葉では理解できなかったから、闇雲に悲しくて、どうしたらいいかわからない状態でしたが」
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