金正恩の後継者は娘・ジュエで決まりか 「モデルはエリザベス女王」の驚愕証言も
「資質」と「風貌」
在日社会にも広がっていた世襲への批判をかわすため、北朝鮮が後継者選定の論理を構築していたのである。ポイントは「男性であれ女性であれ」と言及した部分。むろん、当時は息子である金正日を念頭に置いてのものだが、当局お墨付きの『後継者論』は女性であっても後継者になれると説いている。面白いのは後継者にふさわしい条件に「資質」と「風貌」を並べているところだ。でっぷりし、いかにも東洋の大人ふう。そう、建国の父、金日成が理想なのだ。ジュエもあてはまるではないか。
性別ともう一つ、否定派が主張するのは露出が早過ぎる点だ。なるほど、10歳そこそこのジュエが金正恩とミサイル発射現場や軍事関連施設に足を運んでいるのは首をかしげたくなるシーンだが、先入観は捨てた方がいい。なぜなら、金日成は建国まもなく、幼い金正日を軍官学校の卒業式に同席させていたし、朝鮮戦争の直後には息子だけでなく娘の慶喜までも戦争関連イベントに同行させていたのだ。当時の北朝鮮メディアが報道しなかっただけなのである。金日成はおぼろげながらも世襲を念頭においていたのではないか。
熾烈(しれつ)を極めた朝鮮戦争の休戦からほどない1953年8月17日、平壌で朝鮮人民軍総合展覧会が開かれ、米軍から奪った戦闘車両などの戦利品を金日成が視察した。それからちょうど70年となる2023年8月17日、朝鮮中央テレビが展覧会を回顧した。筆者は画面にくぎ付けになった。金日成が息子と娘を連れ、戦利品を眺める写真が大写しになったからである。金日成は灰色の人民服に帽子、正日もそろいの服装、慶喜はピンク色のおしゃれなワンピース。同じときに撮影されたとおぼしき金日成と正日のツーショットはかつて幹部向けの写真集で見たが、慶喜はカットされていた。
問題写真が解禁に
金日成は二人のわが子に戦利品を見せ、敵に「勝った」と実感させようとしたのだ。だが、慶喜は場違いなお嬢さまファッションだった。平壌は爆撃で焼け野原、あたりはまだ焦げ臭いにおいが立ち込めていた頃である。さすがにそんな服装の娘が写り込むのはふさわしくない、とトリミングしたのだろう。だが、その問題写真の封印が解かれたのだ。「1号写真」と呼ばれる最高指導者にからむ写真の扱いは金正恩か妹の与正しか決められない。祖父が幼いわが子を軍事関連施設に連れ歩いていたという「史実」をリアルな写真でアピールする必要があったからではないか。慶喜は女性だ。ジュエを意識しての解禁だったに違いない。
2024年10月10日、平壌の朝鮮労働党中央幹部学校で開かれた党創建79年を祝う公演にジュエの姿があった。シックなパンツスーツを着こなし、貫禄も出てきた。ロシアのプーチン大統領から贈られた最高級車「アウルス」(ナンバーは朝鮮戦争の休戦協定締結日にちなんだ7・271953)に金正恩と同乗してやってきたジュエは、軍や党幹部と並んで出迎えるマツェゴラ駐平壌ロシア大使の前で足を止めたのだ。父が娘の背をぽんとたたくと、彼女はマツェゴラとしっかり握手し、すぐに耳もとへ顔を寄せ、なにやら話しかけた。マツェゴラも笑顔で応じる。傍らで金正恩はほほ笑ましく見つめていた。
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