“あなたには才能がない”と否定されても…思いを貫いた「平松愛理」の軌跡
上京後の非情な宣告
「この道でやっていこう」と心に決め、いろんなジャンルのバンドでさまざまな曲を書きたいと考えた。そんな平松が「ワイプアウト」とは別に、18歳で組んだ新たなバンドが「ERI & WANDERLAST」だ。大学の4年間は、ポップロック色の強いこのバンドで活動した。
「メンバー全員、プロ志向が強かった。なので、4年が過ぎた頃、一旦ここでお別れをして、それぞれ単身上京し、いつか絶対にプロになって東京で会おう、って誓ったんです。大阪の神崎川のスタジオでのやりとりでした」
約束を胸に、平松もソロデビューを目指して上京したが、 順風万帆 ではなかった。デビューは村田和人率いるバンド「Honey & B-Boys」として。ずっと詩曲を作り続けてきた自負があり、次はソロでリリースできると聞かされていた平松に、当時の所属事務所はこう告げた。
「あなたには何の才能もないんだから、私たちが作ってあげなきゃダメなのよ」
アルバム「Back to Frisco」の発売後に、平松愛理として作曲でソロデビューできる道のままで良いのか、それとも全てを辞めて再出発するのかと自問し、後者を選んだ。他作曲でのレコーディングの3曲目にさしかかった時だった。それは仕事のない、貧しい生活が待つことを意味していた。それでも「自分の作った詞曲を世に出したい」との思いを貫いた。ソロデビューから大ヒット曲が生まれるのは、まだ少し先のことである。
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ソロデビューをつかみ取る決意をした平松。第2回【なんで「部屋とYシャツと私」が代表曲?の疑問はいまも…「平松愛理」がデビューを実感した“新幹線の出来事”】では、意外にも自身の最大のヒット曲を「代表曲とは思っていない」と語る真意について明かしている。