“あなたには才能がない”と否定されても…思いを貫いた「平松愛理」の軌跡

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高校でバンド結成 「電気を使うな」という父が一変

 小学校卒業後は、私立親和中学校に進学。歌うことが好きで、いつしかバンドを組みたいという気持ちを抱えながらも、そのやりかたが分からなかったという。そんなある日、中学3年時の席替えで隣同士になったことがきっかけで、ギターを弾く女子と知り合った。親和学園には軽音楽部があることも教えてくれたが、バンドを組まないと入れないという。

 平松は彼女を誘い、さらにドラムとベースができるメンバーを探しだし、内部進学先の親和女子高校でめでたく軽音楽部に入部した。レディースバンド「ワイプアウト」のボーカルとして、作詞作曲も担当。文化祭で教室に満員の客を前に自作曲を歌った時は、高揚感と幸福感にあふれたと振り返る。その後も、神戸から赴き東京のライブハウスに出演するなど、精力的に活動を続けた。

「自分たちでデモテープを作り、フライヤーも作って、必死でブッキングしていました。スケジュールも組んで、ステージ用の配線図も書いて」

 レディースバンドやガールズバンドが、まだまだ希少な存在だった時代だ。最も成功した例のひとつ「PRINCESS PRINCESS」が前身の「赤坂小町」としてデビューしたのが1983年だから、平松が高校を卒業した後ということになる。

 平松のバンド「ワイプアウト」は、島田紳助と松本竜介が司会を務めていた関西ローカルの音楽番組「ヤングプラザ」に出演し、「Rivageの響き」を生演奏する。その音源をレコードにする企画では、500枚を2週間で売り切って、「ゴールデンディスク」賞を獲得した。

 さらにNHKの地元局が制作するドキュメンタリーにも出演した。高校野球はみんなに応援されるのに、バンドをやっている高校生は不良に見られがち……という風潮の中で、平松らが音楽コンテスト「8・8ロックデー」を目指す姿を追った「若い広場“十七歳・ロックの夏”」である。かくいう平松の父も、娘がバンドを始めた当初は「電気を使うな」とエレキギターに難色を示していたという。だが、コンテストで持ち帰るトロフィーや、テレビでの活躍を目の当たりにして“軟化”し、番組にも出演している。

「私の頭に聴診器を当て『こりゃ、だいぶロックにイカレとるのう』とか言って(笑)」

 娘の才能に親も目を細めるようになったのである。

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