“あなたには才能がない”と否定されても…思いを貫いた「平松愛理」の軌跡
「部屋とYシャツと私」や「Single is Best!?」などのヒット曲で知られるシンガーソングライター平松愛理は、昨年デビューから満35年を迎えた。ソロアーティストとしての印象が強いが、実はアマチュア時代には関西を拠点とするバンド「ERI & WANDERLAST」として活動。こちらは今年2月、1986年の解散以来39年ぶりに再結成し、記念ライブを行う予定だ。平松が歩んできた音楽人生をたどった。
(全2回の第1回)
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隣の「ヨシエお姉ちゃん」に憧れてオルガン
出身は兵庫県神戸市。父は開業医という一家に育った。
「隣に住んでいた7歳上の『ヨシエお姉ちゃん』がいつもよく遊んでくれていました。3歳の頃、遊びに行ったら、リビングに黒いタンスみたいなものが置いてあって。『えりちゃん、こっちおいで』と呼ばれ、『そこ押してごらん』と言われるがままに押したら、音がしたんです。足踏みオルガンでした。その音にすごく魅了されて。何が起こったんだろうというより、とにかく感動して。それで母にねだったんです」
ところが、母が買ってきたのはピアノだった。女の子だからピアノを習わせたかったようだ。だが、足踏みオルガンとちがい、ピアノの鍵盤を押せる指の力は3歳児にはなかった。オルガンなら「ヒューッ」と音が出るのに、なぜピアノは出ないんだろう?と怒りが沸き、「ヨシエお姉ちゃんと同じじゃないとイヤ!」とヤマハのオルガン教室の門を叩く。入門は4歳からといちど断られるも、1年待って通い始めた。以後、オルガン教室に行きつつ、家ではピアノを練習するという日々が続く。最初は弾けなかったピアノもすぐに大好きになった。
「弾いて音が出るっていうことが、嬉しくて楽しかったですね。そのうち、弾きながら言葉をメロディーにのせて歌うようになって。子どもですから『空がソーダ水だったらいいのにな』なんて言葉を、コードっぽいものを弾きながら、その音に合うように。お人形に服を着せるみたいな感覚で、言葉を歌うようになって、それがすごく楽しかった」
早くもシンガーソングライターとしての片鱗が見え始めていた。
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