里親家庭から推薦で大学も、夜の世界に狂ったのちアイドルに…「地獄みたいな半生」で見つけた救いとは
シンガー・ソングライターやアイドルグループ「クロユリfrom夏の魔物」のメンバーとしても活動していたムン・ヒジュさん。1990年に韓国人の両親のもと日本で生まれるも、12歳のときに両親は離婚。母と暮らし始めるが、再婚相手の義父からDVを受け、アルコール依存症だった父の元に引き取られる。だが、父は強制送還され、ムンさんは里親に預けられることに。大学に入ると夜の仕事を始め、金銭感覚を狂わせてしまう。(前後編の後編)
【写真17枚】波乱万丈の半生を語ってくれたムンさん アイドル時代の姿など
父が韓国へ強制送還になり、中学2年生にして一人身となったムンさんは里親に預けられることになった。何人かの里親と面談をした後、ムンさんは埼玉県の家庭に引き取られることになる。
「当時30代前半ですごく若い里親でした。もともと実家がずっと里親を預かっていたらしくて、お父さん的にも受け入れて当然という思いがあったみたいで、私が初めての里子だったそうです。ご家庭には小6と小1の実のお子さんがいました。そこに急に14歳の女の子が来るので大変だったと思うんですけど、すごくいい人たちで。今でも仲が良いです」
里親は若いこともあり、ムンさんが好きだったストリートミュージシャンの世界についても理解があった。「警察だけには世話になるのはやめて」と注意はあったものの、ムンさんが池袋に通うことも許してくれ、時には迎えに来てくれた。
やがて自然な流れでムンさんもストリートミュージシャンとして、路上でライブを始めるようになる。
「やっているうちに私が若いこともあって、周りの大人たちも私に興味を持ってくれて『ライブハウスに出てみない?』と声をかけられて、ライブをやるようになりました。他にもめっちゃ売れたとかではないけれど、CDを作らせてもらったり、ネット配信に出たり、いろんなオーディションを受けさせてもらったり。高校に通いながら、週2くらいでライブハウスでライブをやらせてもらってました」
いい子にしている意味もない
ムンさんは、実の父や母に対する思いを曲にして歌った。
「『お母さん、怒ってないよ』とか、『お父さん、私は頑張っているから韓国から見ていてね』という曲を作ってました。今も父や母のことは恨んでないんです。小さい頃は私のことをめっちゃ愛してくれたので。でも10代の子がそんな曲を歌うから、周りの人には驚かれましたね」
高校へも真面目に通い、生徒会長も務めた。そして指定校推薦で東洋大学に入った。返済義務のない奨学金ももらい、これまでの人生を考えれば申し分のない状況。ただ、その穏やかに見える環境がムンさんを変えた。
「18歳になり里親さんからも離れたことで、戻る場所もない。いい子にしている意味もない。背負ってきたものが全部なくなったと思ったんですよ。急にむき出しのムン・ヒジュになってしまった。悪い意味で自由になってしまって」
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