韓国人の父は強制送還、義父からDV、母は「一人で生きて」 元アイドルが明かす壮絶すぎる半生
「倉庫みたいな家」での父との暮らし
こうしてムンさんはアルコール依存症と躁鬱病を抱えた父の元に引き取られることになった。
「当時、父は板橋区にある倉庫みたいなところに住んでいました。父親の知り合いが持っている建物で、もともと店舗だった場所みたいです。前の店の残骸が部屋には転がっていて、電気もなく、虫とかネズミがすごくいて。その中にカビまみれの“超簡易ベッド”が一つポツンとあって。父と2人でそのベッドで一緒に寝る生活が始まりました」
一緒に住み始めたものの、父は嫌いだった政党の選挙ポスターを剥がし警察に捕まって、2週間くらい家に戻ってこないこともあった。家庭環境はズタズタだったムンさんだったが、けしてグレることはなく、むしろ真面目だったと話す。
「もともとは研究者の娘ということもあって、真面目に生きてました。学校には日本名でなく、ムン・ヒジュと本名で通ってたんですが、一度もいじめられたことがなかったんです。学校でも陽キャで病んだこともなく、友達も結構いました。倉庫のような家にいるときも、普通に学校に通ってました」
流石にこの生活はまずいと思ったのか、やがて父はどこからかお金を借りてきて、埼玉県のマンションに引っ越しした。
「中2の頃だったんですが、ある日マンションに行政の人が急にきたんです。その人が父親の目の前で『自己破産でいいですか?』と聞くと、父は『自己破産で』と答えました。その後に手続きをしていたので、多分借金をしていたんだと思います」
父が強制送還
ちょうど同じ頃、ムンさんは当時はやっていたストリートミュージシャンにハマっていった。
「私は埼玉から電車一本で行ける池袋のコミュニティに入れてもらっていました。そこではいろいろな問題を抱えている子が、ストリートミュージシャンの元に集まっていて。私は14歳で年下の方で、周りは高校生。学校に行っていない子や援交している子、下着や唾を売っていたりする子もいました。ストリートミュージシャンの音楽を聞いていたら、援交おじさんが声をかけてきたり。結構カオスな場所でした」
学校が終わると、池袋へと足を向ける日々を続けていたムンさんだったが、再び大きな悲劇が襲う。父が韓国に強制送還されてしまったのだ。
「当時、父はアルコールで本当におかしくなっていて、福祉の人に強制入院をさせられちゃったんです。強制入院中に就労ビザが切れて、最後には強制送還させられました」
父が強制入院した頃、病院から通達があったのか、ムンさんのもとへ児童相談所の人間がやってきた。そして一時保護所に預けられることになった。虐待や置き去り、非行などの理由で保護が必要な子供を一時的に預かる場所のことだ。ムンさんはここで2か月ほど過ごすことになった。
「一時保護所で少年院に行くような子も、虐待されたような子も一緒に集められるんです。そこで人生で初めて、いじめられました。お菓子が配られるんですけど、盗難をして入所させられていた子にお菓子を奪われたり。勉強していたら『あいつ勉強してる』と本を投げつけられたりしました」
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