韓国人の父は強制送還、義父からDV、母は「一人で生きて」 元アイドルが明かす壮絶すぎる半生
シンガー・ソングライターやアイドルグループ「クロユリfrom夏の魔物」のメンバーとしても活動していたムン・ヒジュさん。現在は千葉県柏市にあるコンセプトカフェ(コンカフェ)で雇われ店長を務めている。「こんなふうな人生を生きている人もいるんだ、という記憶を残したかった」と語る彼女が、自身の半生について打ち明けた。それは、父の強制送還、義父からのDV、そして母からの決別という、あまりにも壮絶なものだった。(前後編の前編)
【写真17枚】波乱万丈の半生を語ってくれたムンさん アイドル時代の姿など
ムンさんは1990年、韓国人の両親の元に生まれた。父は貧しい家庭の出身ながら、頭脳明晰で国からの援助を受けながら韓国の大学院まで行った日韓問題の研究者。母は韓国で公務員の仕事に就いていた。父は研究のために日本に留学し、母も一緒にやってきた。そして日本で生まれたのがムンさんだ。
父は、日本の3つの大学で講師を務める他、防衛庁(当時)の客員研究員も務めた日韓問題のスペシャリストだった。しかし、家での姿はその優秀な姿とは違っていた。
「喧嘩をしてきたのか、家に血まみれで帰ってくることも多かったんです。常に部屋に角瓶が転がっていて、お酒が入ると家でも暴れていました。私の小学校で授業参観や発表会にやってくると、おしっこを漏らしていたこともありました。大学の授業にも泥酔して行って、生徒からも苦情がきていたみたいです」
親の離婚と再婚
それでも小学生までは裕福だった。ただ、父のアルコールへの依存はやまず、やがて躁鬱病にもなっていた。ムンさんが12歳の時に両親は離婚。半年後、母は別の男性と再婚する。
「離婚してからも父は私たちの住んでいる家や母のもとに何度も電話をかけてきました。それに対し義父は『お前が何とかしろ』と言ってきましたが、何もできない。『そんなことを私に言われてもどうしようもできない』と私が言うと、義父は私を押さえつけたり、暴力を振るうようになりました」
義父の暴力はムンさんだけでなく、母にも及んだ。耐えかねた母はムンさんを連れて夜逃げ。しかし、母のお腹には義父との間に子供が宿っていた。ムンさんを取るか、お腹の子を取るかを迫られた母は、最後には義父のもとに戻ることを決断する。
「その頃から急に母から突き放されました。『お前は一人で生きていけるんだから』と冷たくされて。私は中学生だったこともあり、父のところへ行くことになりました。そのとき母が号泣しながら『本当にごめんね。冷たくしてごめんね』と言っていたことを今でも覚えています」
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