パリパラ銅「道下美里」がブラインドマラソンの世界に飛び込んだ理由 「生きている意味が分からなかった」気持ちを一変させた出来事とは(小林信也)
「チーム道下」結成
その失意は第二の覚醒を生んだ。盲学校陸上部の安田祐司監督から、地元で開かれる第1回下関海響マラソン出場を勧められたのだ。
「練習時の心拍数とかを見て、長い距離の方が向いているんじゃないかと助言されたのです。人生で一度はマラソンに挑戦してみたい気持ちはあったので 」
初マラソンを3時間36分8秒で走った。
「トラック競技は応援に来る人がほとんどいなくて、お母さんが『がんばれ』と叫ぶ声が競技場全体に響き渡っていた(笑)。マラソンは沿道にすごく大勢の人たちがいた」
やりがいを感じた。
「障害がある人とない人が一緒に走れる。タイムが速ければ認めてもらえる。それに、すごく出会いが広がる競技だって感じました」
第三の覚醒は、結婚して住み始めた福岡の仲間たちにもらった。
14年ロンドンマラソン出場を決意したが、伴走者2名と自分の渡航費をどうするか、課題は山積みだった。その時、仲間たちが〈チーム道下〉を結成し、クラウドファンディングで費用を集めてくれた。周りを頼らないのでなく、周りの人に参加してもらって、一緒に喜びを分かち合う新しい生き方。トレーナー、医師、栄養士、給水係らその仲間は100名にもなった。
「私はチーム道下の一員なんだ、いまもその気持ちで走り続けています」