開幕が4月に迫った関西万博に「堺屋太一さん」は何を思う? “新作”時代小説で描かれた「前売り券」を完売させる“秘策”
戦国時代に万博はあった
「各章の末尾に、〈実録・本因坊算砂〉と題する、かなり長めの解説コラムが付いているのです。大河ドラマで、ラストに紀行コーナーが放映されますよね。あれの、もっと本格的な読み物版みたいな欄です。ここで、算砂や囲碁界、世相、社会・経済の実相が解説される。こんな時代小説は、初めてです。このコラムだけを抜粋してまとめて資料をプラスしたら、十分、新書になりますよ。ちなみに囲碁の知識が皆無でも、まったく問題ありません。そのあたりもちゃんと気を使って書かれています」
実は、このベテラン編集者氏、最後に、声をひそめて、こんなアドバイスもしてくれた。
「邪道な読書法かもしれませんが、このコラム部分だけを、先にまとめて読んでしまってもよいかと思います。そうやって背景知識を頭に入れてから小説部分を読むと、面白さがまったく変わります。一粒で二度おいしいアーモンドグリコみたいな本になるはずです」
やはり堺屋さんの作だけあって、通常の時代小説とは、かなりちがうようだ。それだけに、信長といえば、本能寺の変だが――ここが、どう描かれているか、そこに日海(本因坊算砂)の囲碁が、どう絡んでくるのか……。これは読んでのお楽しみ。
「もしいま、堺屋さんがお元気だったら、前売券が不振な〈EXPO2025〉に、きっとユニークな秘策を打ち出してくれたと思いますよ。だって、本書中に、こんな場面があるんですから」(ベテラン編集者)
それは本書のクライマックス近く、天正10(1582)年正月、信長自ら、安土城を“一般公開”するシーンだ。銭百文の“入場料”を払えば、大名から町衆まで、誰でも参賀入城でき、お座敷、宝物、襖絵などを観られた。あまりの人気に、一帯はパニック状態になる。しかも――
〈何より驚いたのは、天主の御台所口から出た厩の前に、織田信長自身がいたことだ。/「銭百文を忘れるな」/信長はそう叫んで、手ずから百文の銭を受け取っては、後ろの巨大な賽銭箱に投げ込んでいた。〉
このあと、堺屋さんは、本文中でこう書いている。
〈天下人自身が木戸銭取りをしながら展示物にもなっているのだ。〉
〈今日流にいえば宝物展示会、いや安土城全体を会場にした博覧会といってもよい。〉
〈実は、これが世界最初の定額有料興行だったといってもよい。(略)ヨーロッパにおいて定額有料制が普及するのは、これより二十年ほどあとのシェイクスピア時代からである。〉
〈この日、安土城に入った者は三万人ともいわれ、収入は銭だけでも三千貫、大小名や寺社、商人が持参した金額を加えると銭六千貫相当にもなったという。一日の興行としては大変な利益だ。〉
すでに戦国時代に、“万博”は、あったのである。しかし、信長のように自ら“展示物”になろうという人物は、現代には、どうやらいないようだ。〈EXPO2025〉関係者は、大急ぎで、本書『戦国千手読み 小説・本因坊算砂』を読むべきではないか。
[4/4ページ]