開幕が4月に迫った関西万博に「堺屋太一さん」は何を思う? “新作”時代小説で描かれた「前売り券」を完売させる“秘策”

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「万博の父」は関西万博をどう思う?

 大阪・関西万博、通称〈EXPO2025〉の開会が、いよいよ4月13日に迫ってきた。1970年の〈EXPO70〉以来、2回目の大阪万博だ。だが、昨年11月末時点での前売券の販売状況は、約737万枚。目標(1400万枚)の半分である。しかも参加国撤退が相次いでいる。昨年11月には、ギリシャが撤退を表明した。これで8カ国目だ。

 この状況を見て、もしこのひとが生きていたら、なんと言っただろう――作家で、経済企画庁(現:内閣府)長官もつとめた“万博の父”、堺屋太一さん(1935~2019)である。ベテランの経済記者に解説してもらった。

「堺屋さんは、通産省(現:経産省)の個性派官僚・池口小太郎(本名)として、若いころから有名でした。最初に注目されたのは、1962年の『通商白書』で展開した、“水平分業論”です。それまでの世界貿易は、先進国→発展途上国、宗主国→植民地というふうに、上→下の垂直分業だった、しかしこれからは、工業国 ←→工業国の、水平分業による相互貿易 になる――という一種の“未来予測”ですが、当時としては、たいへん新鮮な考え方でした」

 そして、1970年の大阪万博を企画・提案。空前の大成功に導き、日本の高度経済成長を頂点に導いた。そのため、“万博の父”や“博覧会男”などの異名をとった。

「さらに堺屋さんの名が一般に広まったのは、通産省時代に手がけはじめた近未来小説です。1975年刊『油断!』は、中東から石油が入ってこなくなり、日本が疲弊していく様子がリアルに描かれました。つづく1976年刊『団塊の世代』は、1940年代後半の第1次ベビーブームで生まれた大量のホワイトカラーたちが、後年、終身雇用制度や年金・医療保険制度の崩壊にぶち当たる“未来予測”小説。そのほとんどが的中しており、書名の〈団塊の世代〉は一般名詞にまでなりました」

 やがて堺屋さんは1978年に通産省を退官し、執筆活動に専念するようになる。

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