【べらぼう】いきなり描かれた大火… 江戸でやたらと火災が多かった裏事情
吉原から抜け出る第3の道
『べらぼう』の第1回でも、景気対策の放火に近いことを、吉原も遊女が起こしていた。火をつけて捕まった遊女は、「火事のときは仮宅で安いから客が押し寄せた。もういっぺん、ああなれば腹一杯食えると思った」というのである。
「仮宅」とは、火事で遊郭が焼失した際の臨時の遊郭。日ごろは高くて客がかぎられる吉原だが、「仮宅」だと揚げ代が安いから、客も増えた。そんな状況を生み出したくて放火した――というわけだ。江戸で火事が多かった理由の一端を描き出した場面だった。
吉原の場合、必ずしも景気対策は意識されなくても「世直し」としての放火は多かった。たとえば、すでに幕末の慶応2年(1866)だが、客の男2人が馴染みの遊女を逃がそうとして物置に火をつけた結果、延焼が激しくて吉原の大半が焼失してしまった。
年季が明けるまで長年働き続けるか、客が莫大な金を投じて身請けをしてくれるか。「苦界十年」と呼ばれる吉原から遊女たちが自由になる道は、基本的にはその2つしかなかった。それだけに、第3の方法としての放火が行われた、という逸話である。
これから蔦重がしばらく活躍するのは、江戸時代のなかでは自由な空気がみなぎったとされる時代だが、それだけに火事を通して「陰」の部分を見せたのは、効果的だったように思う。
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