「石原裕次郎」「渡哲也」の遺志を継ぎ…「舘ひろし」が新年会で明かした「自社製作映画」の夢

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 昔取った杵柄とはまさにこのこと。1月7日、俳優の舘ひろし(74)が芸能プロダクション「舘プロ」創設5周年と芸能生活50周年を記念して開催した「新春仕事始めの儀」で餅つきを披露。舘はリズミカルに、そして力強く杵を振り下ろした。

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 会場ではまず、所属俳優はじめ俳優仲間など招待客およそ200人を前に神事が執り行われた。続いて、舘の乾杯の挨拶だ。

舘:明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。舘プロを立ち上げて3年……え、5年? そんなに経つ? 本当にここまでこれたのは、皆さんのおかげだと思っております。映画をやりたいとずっと思っております。昨年は「帰ってきた あぶない刑事」という映画に少し出資させていただいたり、今年はもう1本、映画に出資をさせていただいたりしております。少しずつですが映画製作に向かっております。

――そもそも映画製作は、舘が所属していた石原プロモーションの悲願だった。というよりも、創設者である石原裕次郎は映画製作のために石原プロを立ち上げた。1963年から1973年にかけ、「黒部の太陽」はじめ「太平洋ひとりぼっち」「栄光への5000キロ」など、裕次郎の主演映画を製作。しかし、映画産業の斜陽化と失敗作で負債を背負い、石原プロはテレビドラマに進出する。その結果、「太陽にほえろ!」(日本テレビ)や「西部警察」(テレビ朝日)といった人気作が生まれたのだ。それでも裕次郎の映画熱はやまなかった。裕次郎の遺志を継いで2代目社長となったのが渡哲也だが、彼の代では自社製作の映画を実現させることができないまま、2021年、石原プロは解散した。舘プロはその思いを継承したのだ。彼の挨拶は続く。

餅つき3セット

舘:石原プロが解散しましてからですね、本当に餅つきをやりたかったんです。ご存知の方いらっしゃると思いますが、十数年ぶりに餅つきができるのも、ひとえに皆さんのおかげだと心から感謝をしております。それと今日、皆さんがお召しになっている法被(はっぴ)でございますが、これも私がどうしてもやりたいと作りました。石原プロ時代は毎年、忘年会はですね、石原プロの法被を着てみんなでやったんですけれども、えー、あの頃はコンプライアンスを無視した、その晩あったことはなかったことという、そんな時代もありましたが、法被に罪はございません。今日は法被でハッピー・ニュー・イヤー!ということでよろしくお願いします。乾杯!

 餅つきは15年ぶりという。これも石原プロの名物行事だった。石原プロ解散後、2021年に立ち上げられた舘プロだが、当初はコロナ禍のため忘年会も新年会も開催できず、昨年は元日に能登半島地震が発生したため被災者に思いを致し自粛した。2月には被災した石川県の輪島市や氷見市で炊き出しを行った。被災地での炊き出しも、石原プロ伝統の精神であり、舘プロはそれらも継承した。

 この日、念願の餅つきは計3セット行われた。初回は所属俳優らの「よいしょ!」の掛け声に合わせ舘がトップで力強く杵を振るう。昨年、ブルーリボン賞や日本アカデミー賞などで新人賞を受賞した最若年の所属俳優・黒川想矢(15)が杵を振り上げふらつくと、舘がダンディーに「こうやるんだ!」と指導する場面もあった。

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