「町田は、僕にとって〈東京〉ではない」 『イッツ・ダ・ボム』が話題の作家・井上先斗が語る、今も〈東京〉に特別な思いを抱く理由

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町田ではない別の場所として〈東京〉は存在するという肌感覚

 2024年、『イッツ・ダ・ボム』で第31回松本清張賞を受賞しデビューした作家の井上先斗さん。東京の町田にほど近い地域で育ちながら、「こことは別の場所として〈東京〉は存在する」という肌感覚があったそう。では〈東京〉とそうでない場所を隔てていたものって?

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 町田は、僕にとって〈東京〉ではなかった。

 23区の外は東京ではない、町田は神奈川で八王子は山梨だ――といった、もはや陳腐になってしまった地域ネタを語りたいわけではない。神奈川県の相模原に暮らす一人の少年にとって町田ではない別の場所として〈東京〉は存在するという肌感覚があった。それだけの話をしたい。

 JR横浜線の古淵(こぶち)駅が最寄りという地域で育った。家があったのは駅まで自転車で15分ほどかかるような場所だったのだけど、それほど苦に感じた記憶はない。多少の移動時間は暇をつぶすのに役立ったし、坂のない道は飛ばすのが気持ちよかった。そうした子どもだったから、駅でいうと古淵の隣である町田へも勢いのまま通っていた。お小遣いに多少の余裕が出てきた中学生以降は、何を目的とするわけでもなく、とりあえずぶらつきに行くような場所だった。その際に〈東京〉へ来たという気持ちはなかった。

都内の会社に勤めている現在も〈東京〉に特別な気持ちが

 ああ、〈東京〉だ。そう実感するのは、新宿や渋谷に出向いた時だ。特に新宿に来たと初めて意識した日のことはよく覚えている。家族で出かけたのだ。ビルの並びに切れ目が見えない景色に圧倒された。人混みもすさまじい。

「買い物の間、あなたはここで待ってなさい」と置いてかれた紀伊國屋書店の新宿南店(今は洋書フロアとサザンシアター以外はニトリになっている)は、この世界に存在するありとあらゆる本があるように思えた。両親にとっても特別な休日だったようで帰りはロマンスカーに乗った。町田で小田急からJRへ乗り換えだ。

 振り返ってみると、そこまで感動することかよと思う。新宿だって、少し歩く方向を工夫すれば住宅街にすぐに出る。さすがに新宿にはかなわないにせよ町田も人通りは多い。紀伊國屋の棚に並んでいた中で僕が認識できた類の本は多分、町田の久美堂に全てあった。古本屋の高原書店(ここも既に閉店してしまった)に行けば新宿にはない本もたくさん並んでいた。決定的な違いなんて移動時間くらいだ。

 なのに、僕は、この感覚をずっと引きずっている。新宿に行くことが珍しくなくなった大学生の頃も、都内の会社に勤めている現在も、町田ではない〈東京〉に特別な気持ちがある。

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