「長生きすることで愉しいことも淋しいことも、思わぬことが起こる」 横尾忠則、2024年の総決算
担当編集者のTさんから「今年のNo.1」についてというか一年の総決算の話題はどうかというテーマを与えられました。まあ一番印象に残っているのは園遊会に招かれ、赤坂御苑で天皇皇后両陛下、愛子様と猫談義、秋篠宮殿下御一家とY字路のお話を交わすことができたことです。この日の出来事は生涯の中でも、永遠に記憶に残こることでしょう。他では、やはり沢山の友人知人が亡くなったことです。
この2つの明暗も僕が長生きさせられた結果の出来事であったかと思います。やはり長生きすることで愉しいことも淋しいことも、思わぬことが起ります。
『養生訓』を書いた貝原益軒は、
「長生きして人生を楽しむことを心掛けるようにする。
あたりまえのことだが、それを行うのが養生の道だ。
悪事を働かず、善行を楽しみ、人としての正しい道を歩むこと。
病いを避け、健康でこころよいことを楽しみ、
長生きして、
人生そのものを楽しむようにすることだ。」
と書き遺しています。
昔の学校の修身みたいで、道徳的で、嫌だという人もいるかも知れませんが、このような当り前のことが実はなかなかできそうでできないのです。
人間が生まれてきたのも、縁があってのことです。生まれてきたことに感謝をしながら長生きをし、そのためには日々の養生がかかせないと貝原益軒はいうのです。
病気になって始めて病院に行くのがわれわれの常ですが、養生というのは病気になる前に心掛ける必要があるといいます。こんな当り前のことが実はなかなかできないのです。いつも事が起って大騒動になるのです。
健康な時は病院などに行く人はいません。もしいるとすれば僕ぐらいかな? と思います。事が起ってからでいいではないかという考えも一理ありますが、僕は怖がりなので、ちょっと身体が変だなと思うとすぐ病院に行きます。病院に着いた頃にはどこも悪くないということも何度かありました。
普段は養生まではいけませんが、病気になる10歩手前位に病院に行くクセがありますので、多少は養生に近いのかなと思います。
昨日も、物を食べる時に歯が痛いので飛んで行ったら、医師は噛み合せが上手くいっていないと言って、チョイ、チョイと歯をいじってくれました。すると、その後、何を食べても、全く痛くなく、助かりました。
この前は目がゴロゴロするのでこれも大病院の眼科に行きました。すると、かゆいのでこすったために小さい傷ができたのと、アレルギーですといわれ、目薬を2種処方されたら、ケロッと治りました。
便秘かなと思うと、また飛んで行き、いい薬をいただき、こちらもケロッです。便秘ぐらいで病院に行く人はいないかも知れませんが、これも養生です。
貝原益軒の『養生訓』は僕の昔からの座右の書で、新幹線で小旅行をする時などは必ず『養生訓』を携帯していきます。『養生訓』は身体の健康以前に心の健康を悟す書物です。僕にとってはすぐ実践できる哲学書です。哲学といえば、難かしい学問と思われるかも知れません。だけど僕にとっての哲学は脳をたがやすためではなく、肉体の活動を知ることによって学ぶものです。頭ではなく今、自分の肉体はどうなっているかを知ることによって僕は肉体も心も前進できるのです。だから僕にとっては自らの肉体の状況を知ることが、すでに哲学なんです。
「心の健康が体の健康であると知れ」
という益軒の言葉に従がうのです。
益軒は「心はいつも平静であること」と言って、心配事を少なくするのが心の健康法だと言っています。
「心配事を少なくし、欲を抑える」
それぞれの欲が病気の元なんです。
人間の欲は心を掻き廻すので、
「喜怒哀楽はほどほどに」
と言います。感情に振り廻されると、その結果病いになるというのです。「病いは気から」の論理です。
益軒は決して難かしいことは言いません。子供でもわかるようなことです。こんなごく当り前のことが難かしいのです。
「老人は心を静かにし、
欲を少なくし、体を養うべきだ」
また、
「老人は静かに落ち着いて、休んでいるのがいい。無理をしないこと」
と言います。
今年を締め括る話題といえばこういうことかな、と思います。
Tさん、ご期待に応えられずに大変失礼しました。老齢になると興味のあることを休み休みにして行こうと思っています。若いTさんには物たりない話になってしまったかも知れませんね。ではいいお年を!(編集部注:2024年12月26日発売の「週刊新潮」に掲載)