YouTubeで「中森明菜」の虜に…平成生まれの「美人インフルエンサー」が語る昭和の魅力 “純喫茶”から“現職閣僚のヒット曲”まで

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中森明菜の魅力

 まもなく訪れる2025年は、昭和に換算すると100年目の区切りの年。阪田にとってもこれまでにない飛躍のチャンスを迎えることになるだろう。

「ネオ昭和の歌謡曲を作って、歌を通してその魅力を伝えられるように頑張りたい」と2025年の意気込みを語る阪田が目指すのは、ステージ上で圧倒的な存在感を示す昭和のアイドル。中でも「高校3年生の頃、YouTubeの動画を見て虜になった」と話す中森明菜に対しては、強い憧れがあるという。

「中森明菜さんは可愛らしさと影があって、そのどちらでも魅せられるところがすごいなと思っていて。デビュー曲の『スローモーション』(1982年)は可愛いらしいアイドル誕生を印象付けたのに、続く『少女A』では一転して格好良い姿を見せる。その豹変ぶりはきっとファンの心をゾクゾクさせたと思いますし、まるで女優のようにさまざまな姿を見せる明菜さんを見ていると……。もう、たまらないですよね」

 熱っぽく語る阪田が、最も印象に残る曲として挙げたのが、1987年に18枚目のシングルとして発売された「BLONDE」(ブロンド)だ。

100年目の昭和

「ソバージュヘアーの明菜さんや、エルメスのスカーフを繋ぎ合わせて作り上げたドレス。印象的なベルトもとにかく可愛らしくて。映像を一瞬見ただけで楽曲の世界に惹きこまれていきました」

 近年では中森明菜の楽曲がSNSで人気を博し、“明菜ちゃんカット”を真似る若者が相次ぐなど、阪田と同じZ世代の間でリバイバルヒットを記録しているという。

「平成生まれの私にとって、まったく馴染みがなかった昭和の文化や流行はかえって新鮮で、惹き込まれるものがあるんです」と話す阪田は、“100年目の昭和”に向けて、「2025年はネオ昭和の歌謡曲を作って、たくさんの方に届けていきたいと思っています。昭和のアイドルのような眩しすぎるほどの笑顔と圧倒的な存在感を魅せたい」と意欲を見せる。

「実は最近、私が訪れた純喫茶のオーナーさんから『継ぎ手がいないので自分の代で店は終わりにするかも…』と言われてしまって。その時にとにかく残念で、悲しい思いが込み上げてきたんです。でも、もし私の活動をきっかけに昭和の魅力に気づいてくれたら、やがて『純喫茶をやってみたい』と思う人がたくさん現れるようになるかもしれない。私が大好きなものを残していくために発信を続けていかなければいけないと思っているんです」

 昭和が終わりを迎えて今年で36年、阪田は令和の世で自身の思いを伝え続ける。

第1回【「チェッカーズ」「ホットロード」に憧れて…Z世代のインフルエンサー「阪田マリン」が明かす“昭和レトロ”にハマった理由】では、Z世代インフルエンサー・阪田マリンさんが、どのようにして昭和にハマっていったのか、その謎に迫る。

ライター・白鳥純一

デイリー新潮編集部

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