今年も「阿部巨人」の優勝が固い“大補強以外の理由” 「野村IDの申し子」「魔改造」2人の名コーチとは
今オフ、空前の70億円大補強を敢行したプロ野球・巨人にあって、もうひとつの注目の“補強”が、橋上秀樹・作戦戦略コーチの11年ぶりの復帰だ。巨人は昨季4季ぶりにリーグ優勝を果たしたが、クライマックス・シリーズのファイナルステージでDeNAに完敗。2季目の阿部巨人にとっては13年ぶりの日本一奪還が至上命令なのはいうまでもない。橋上コーチは故・野村克也監督のもと、2007年から楽天で3年間ヘッドコーチとして辣腕をふるった「野村ID野球」の生き字引的存在だ。2012年からは巨人に在籍し、3連覇の立役者の1人となっている。また、それに加え、昨季、菅野智之投手を復活させた久保康生・巡回投手コーチは、MLB移籍したエースの穴を埋めるべく、今季は楽天から獲得した田中将大の復活を託された。2人のコーチに阿部巨人の命運が託されている。
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橋上コーチは現役時代にヤクルト、日本ハム、阪神でプレーし、2000年に引退。その後は楽天、巨人、西武、ヤクルトなどでコーチを務めた。
巨人にとっては11年ぶりとなる橋上コーチ入閣は阿部監督の肝煎りだ。当初、監督は4年ぶりのリーグ制覇で「コーチ人事もいじらない」予定だった。しかし、巨人はオフにMLBに移籍したエース・菅野に続き、来るべき新シーズンのオフには、主砲の岡本和真の米挑戦も確実視されている。戦力ダウンをカバーするためにも、コーチ陣の強化が重要だった。そこで阿部監督が山口寿一オーナーに直談判した補強が橋上コーチの入閣だった。橋上コーチは早速先の秋季キャンプにも参加している。
「就任1年目のリーグ制覇は2002年の第1次原政権以来です。ONでさえも達成できませんでしたから、今の巨人にとっては快挙です。このオフ、巨人のフロントは阿部監督のリクエストには何でも応えるという状況にありました」(チーム関係者)。
共著も出す
橋上コーチは阿部監督にとっても恩人の1人。安田学園の先輩後輩の間柄でもあり、前回原巨人で入閣した際には、
「打撃不振に陥っていた阿部に“相手のバッテリー心理を考えて打席に立つ”ことをアドバイス。この結果、阿部はキャリアハイの成績(打率340、104打点で首位打者、打点王の2冠)をあげたシーズンになった。橋上さんがいなかったらあり得なかったことでした」(古参の巨人担当記者)。
巨人のコーチを退任してからも2人は連絡を取り合う関係にあった。
「阿部監督にとっては二軍監督時代からの“外部コーチ“でしたね。きっと多くの愚痴も聞いていたはずです。2人は共著も出すなど、その信頼関係はもちろん絆も盤石です」(夕刊紙記者)。
小笠原を外すべき
前回2012年に原巨人に電撃入閣した際は、当時の清武英利GMによる一本釣りだった。巨人とは長年のライバル関係にあった「野村ID野球の導入」にチーム内では根強いアレルギーがあったにも関わらず、清武GMは人事を断行した。
「当時読売は2年連続3位に終わった原監督に主張できるコーチの存在を探していました。その一番手が野村監督の評価も高かった、橋上さんでした」(同)。
ところが、橋上コーチの就任会見の10日後に、清武GMが当時の渡邊恒雄オーナーとの確執で電撃解任。後ろ盾を失った橋上コーチは退団も覚悟したほど。当初は外様扱いで完全に浮いていた。原監督とも当然の如く微妙な距離感があった。巨人にはこれまで生え抜きのコーチ陣ばかり採用する悪しき伝統があった。そんな中で橋上コーチは異色の存在だったことはいうまでもない。12年のシーズンは開幕当初から連敗続きで下位に低迷。その敗因はとにかく打てないことだった。
「橋上さんは緊急スタッフ会議でコーチ陣の中で攻撃の柱でありながら大不振だった小笠原(道大)をスタメンから外すべきと主張したそうです。これをきっかけにチームは軌道に乗り、このシーズン優勝できました」(チーム関係者)。
2007年に原監督がラブコールを贈って日本ハムからFA移籍で獲得した小笠原を「外せ!」ということは、生え抜きコーチでは思っていてもできないことだった。橋上コーチは現役当時の日本ハム在籍時、「小笠原とは左右の代打コンビとして貴重な戦力だった」(夕刊紙記者)ことから、小笠原の不振をしっかり見抜いていた。これを機に原監督の信頼も得ることになり、3連覇のきっかけにもなった。この後に阿部監督だけではなく坂本勇人や長野久義も橋上コーチの視点に感服し、外様コーチでありながら「橋上門下生」のメンバーとなっていったのである。
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