「笑い話にできない話はするな」 西田敏行さんが遺した名言を盟友・武田鉄矢が明かす 「彼の演技には狂気が潜んでいた」

エンタメ

  • ブックマーク

「笑い話にできない話はするな」

 途中からはもうライバルなんて言えないほど、西田さんは主役を背負って大きな映画に出演されていきます。撮影が終わると、西田さんと一杯やりながら二人だけでお疲れ会をやるんですよ。

 そのときに聞かせてくれるエピソードはどれも楽しくてね。命がけの役をやっても、どんなに苦しくても、辛かったことは一切話さないんですよ。すべてを笑い話にして爆笑させてくれるんです。

 例えば、映画「植村直己物語」。ヒマラヤにロケに行っていますから、ほんとに死にそうな目に遭ってるんですよ。いまにも雪崩を起こしそうな雪の大絶壁の下を、植村直己役の西田さんが歩いているというシーンを捉えたいと、監督は考えた。

 とはいうものの、いつ本当に雪崩を起こすか分からないので危険なわけです。だからシェルパが通訳を挟んで撮影隊にアドバイスしたんですって。「絶対に大きい声を出さないで!」と。みんな気を付けろとかって確認し合うんだけど、監督が、「よぉーーい!」って、めっちゃくちゃ大きな声で言っちゃった。そしたら、シェルパの人が「デンジャラス! デンジャラス!」って。

 西田さん、もう無我夢中で歩くんですけど、絶壁の雪のかけらがパラッパラッと落ちてくるんだって。

 生きた心地しないよなあ。おそらく本当は怖かったと思うんです。でも話は面白くて本人もケラッケラ笑ってた。

 西田さんは私にもよく言ってくれました。

「笑い話にできない話はするな。それはものすごく人間として未熟で劣っていることなんだ。肝心なのは、自分が受けた苦しさといったマイナスをどうプラスにして語ってあげるかだ」

人間を突き動かす情念

 これ、西田さんの哲学だと思うんです。圧倒的な演劇性。それはあの人が貫いた見事な覚悟だったんじゃないですかね。

 辛かったり苦しかったりすることを笑いに変える。その根本にあるのはいったい何なのか。「狂気」だと思うんです。

 西田さんはたびたび、

「狂気をはらんだ芝居ができる役者になる」

 と言っていました。確かに、彼の演技の奥底に一種の狂気を見るんですよね。われわれが目指した渥美清さんの演技の中にも、やはり一種の狂気が潜んでいました。それをあの人はオブラートに包むから、感じさせないし、みんなだまされているんです。

 卑近な例ですけど、西田さんも私も歯が悪いんですよ。私は気が小さいから、歯が抜けたりすると、入れ歯になるのかなぁとかってうつになるぐらい落ち込むんです。それなのに西田さんといったら、カラカラ笑いながら「私、もうかむ歯が無いもんだから、うどん食いながらかんだって印を残していくだけだ」って。それを耳にしたときは、ガーンと圧倒されました。浮気がばれてしょぼんとしてるときに、「もう1回ぐらいやんなきゃダメ」とかって言える人がいるじゃないですか。ああいう人と共通したものがありますね。

 これ、なかなかできないですよ。常識的な観念がのしかかろうとしているときに、それを払えるエネルギーがあるか。追い詰められたときに、火をつける最後の火薬のようなもの――そういうものですよね、狂気というのは。人間を突き動かす情念ですよ。

 人間のいちばん奥底にある狂気を恐れずに演じる。そういうところに、西田さんの本領を見るんです。それを死ぬまで持っていた人でした。そんな西田さんにものすごく憧れました。

次ページ:最後の謝罪

前へ 2 3 4 5 6 次へ

[5/6ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。