「どう作りたいかではなく、何が求められているのかを考え抜く」 MoMAの増改築を手がけた「谷口吉生さん」の“エゴとは無縁”な建築家人生
まず何を伝える場かを考え、設計する姿勢
37年、東京生まれ。父の谷口吉郎さんは東京国立近代美術館などの設計で著名な建築家。慶應義塾大学工学部機械工学科に進んだのは、ささやかな抵抗だったようだが、ハーバード大学で建築を学び大学院を修了。
「吉郎先生の伝統を現代に生かしていく姿勢は、吉生さんにも感じます。そして機械工学の視点は強みになりました」(仙田さん)
丹下健三さんの下で働き、秘書的な役割も経験する。丹下さんからは実務面で大きな影響を受けたという。75年に独立。土門拳記念館(83年)で作風が明確に。
「土門さんの人間像を建物に反映したいと写真や本だけでなく、彫刻家のイサム・ノグチさんら友人を訪ねて話を聞き、作品も寄せてもらった。まず何を伝える場かを考え、設計する姿勢は生涯ぶれなかった」(酒井さん)
89年の東京都葛西臨海水族園は特に親しまれた。
「東京湾と一体となる建物を目指し、入り口から下りていく作りは、海中に向かうような空間を演出していました。観客の動線や時の流れをいつも大切にしていました」(仙田さん)
人目につかない素材まで厳しく選び抜く
完璧主義者だった。
「人目につかない素材まで厳しく選び抜く。でも建物自体は穏やかなたたずまいで、すっと入っていける雰囲気なのです。池を配置し、水面の静謐な様子に観客が一息つけて展示に思いをはせられる工夫もしていました」(仙田さん)
自分が直接関われる量の仕事しか引き受けず、建築家同士で争うのは好まないとコンペに参加しなかった。MoMA増改築のコンペに参加したのは例外である。
意欲と研究熱心さは変わらない。2004年には広島市の清掃工場を手がけ、鈴木大拙館(11年)では、禅の思想を空間から感じられないだろうか、と試みた。
24年12月16日、肺炎のため87歳で逝去。
設計した建物の補修に加われることを喜んだ。建築家としての矜持と尽きない思いが込められていたのだ。
[2/2ページ]