「さようならと言うことすら許されなかった」 “アラン・ドロンと事実婚”ヒロミさんが明かす失意の日々

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“フランスが生んだ希代の映画スター”と称された、アラン・ドロンが88年の生涯を終えたのは2024年8月18日。彼とパリ南方の小村ドゥシーで17年にわたって生活をともにしながら、ドロンの遺児らに住まいを追われた日本人女性のヒロミ・ロランさん(67)が、亡き“夫”への思いを語った。

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“さようなら”すら言えず

「アランの死は友人からの電話で知りました。彼の3人の子どもたちは、最後まで私が彼に“さようなら”とお別れのあいさつをすることも許しませんでした 。私とアランはただ愛し合っていただけ。二人で2匹の犬と2匹の猫と、静かに暮らしていただけなのに」

 淡々と振り返るヒロミさんが、ドロンと知り合ったのは1989年12月。場所は彼女が映画などの助監督として働いていたことから、パリ郊外の撮影所だった。以来、二人は紆余曲折を経ながら愛を育み、2006年から同居していた。

突然子どもたちから刑事告訴され……

 生活が一変したのは23年の7月5日だった。ドロンの長男アントニー(60)、長女アヌーシュカ(34)、次男アラン=ファビアン(30)らが、ヒロミさんをドゥシーから放逐したのである。

 この直前、子どもたちはヒロミさんを「父への虐待」「モラルハラスメント」「ペットへの虐待」など五つの容疑で刑事告訴し、ヒロミさんも彼らを自分への暴力や窃盗、誣告(ぶこく)罪で刑事告訴していた。結論から言うと、司法当局はヒロミさんの「すべて事実に反する」との主張を全面的に認めて不起訴処分とした。一方でヒロミさんの告訴も不起訴とされ、騒動は幕を閉じた。

 この時、ドロンは病床に伏していたが、ヒロミさんは年が明けた24年1月、子どもらがドロンの治療を中止していたことを知った。そこでラジオに出演し「治療しなければアランの命が危ない」と訴えたと振り返る。

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