ネットで出会った妻の「闇」がヤバかった バッグにむき出しの札束、理由を聞くと涙を流し始め…
【前後編の後編/前編を読む】未亡人の母は「大学生のお兄さん」に奪われて…家庭問題、いじめ、新興宗教 45歳男性が送った壮絶な幼少時代
3人兄弟の末っ子に生まれた芝田晶史さん(45歳・仮名=以下同)は「いつも空気がひんやりとしている」家に育った。父が急逝すると、祖父母によって母と共に追い出され、転校先では酷いいじめにあい不登校に。母は若い男性を家に連れ込み、その後は新興宗教に溺れるようになる。単身で上京し社会を知ったことで、生い立ちに負い目を抱く晶史さんは世の中には「あっち側」と「こっち側」の人間がいることを意識するようになる。29歳の時にネットで出会った秋奈さんは後者。知り合って半年後に結婚した。
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【前編を読む】未亡人の母は「大学生のお兄さん」に奪われて…家庭問題、いじめ、新興宗教 45歳男性が送った壮絶な幼少時代
結婚して同居したにもかかわらず、ふたりには性的な関係がなかった。お互いの収入もろくに知らない。
「それでも楽しかったんですよ。交代で、あるいはいっしょに料理をしてふたりで食事をとる。僕にとってはそれはほぼ初めての体験でした。ひとりで暮らしていたころもお金がないから基本的に自炊でしたが、自分のためにはたいしたものは作らない。彼女は煮物などの和食が上手。でも僕がパスタを作ると、『本当においしい』と言ってくれた。だからさらにパスタを研究しました。性的な関係がなかったのは、彼女が拒否したから。まだ心の準備ができていないって。彼女は2歳年下でしたが、経験がないのかなと思っていました。とはいえ、僕も風俗以外では経験がなかったから、そんな彼女を説得したりその気にさせたりする自信もなかった」
肉体関係に踏み込めないまま、ふたりは「ままごと」のような生活を楽しんでいた。彼女は医療関係の営業職で、結婚して2年ほどたったころから急激に忙しくなっていった。出張も多く、ときには月の3分の1くらい出張していることもあった。
「仕事が忙しいのはいいけど、体だけは大事にしてよねといつも言っていました。彼女はフッと笑って『あなたはいつも優しいね』と僕の背中に顔をつけてじっとしている。そんな彼女が愛おしかった。だから言ったんです。もしも子どもがほしいなら……って。そうしたら彼女、『あなたは? ほしいの?』と。わからないとしか言えなかった。僕なんかが子どもをもったらどうなるのかまったく考えられなかったから。すると彼女は『私も同じ。わからない』って」
ただ、彼に性的欲求がないわけではなかった。ときどき無性に誰かと肌を合わせたいと思うこともあった。ひとりで処理したり、妻が出張しているときに風俗へ行ったりすることで紛らわせていた。なぜか「妻としたい」という気持ちにはならなかったと彼は言う。
「妻を傷つけるような気がして、したいと言えなかった。いざとなったらできる自信もなかった。妻はこちら側の人間だから、大事にしたかったんですね。おそらくしたくないんだろうとわかっていたから、したくないことを強要したりプレッシャーを感じさせたりしたくもなかった」
兄の死
30代半ばになると、同世代の同僚たちが子どもをもつようになっていく。そんな話を聞いていても、羨ましいと思っているかどうかさえ自分でもわからなかった。だが、流れに任せて生きていくしかなかった。彼はずっとそうやって生きてきた。そして秋奈さんも。
「40歳になったとき、遠い親戚から連絡があったんです。僕が就職するとき保証人になってくれた母方の親戚です。兄が亡くなったと。祖父母はとうに亡くなっていたらしいんですが、ああいう経緯があったから知らせなかった。ただ、兄のことは連絡したほうがいいだろうと思ってと言われました。とはいえ30年も会わなかったわけだし、今さらという気がしましたね。兄は自殺だったと聞いて、気持ちが揺れました」
結局、兄の葬式にも行かなかったが、それを機に姉と連絡がとれるようになった。姉は預けられた父方の親戚で、まるで家政婦のように働かされ、18歳でその親戚に追い出されるように結婚させられたという。
「その後、離婚してシングルマザーとしてひとり娘を育てたそうです。姉とは電話で話したけど、お互いに会おうと言えなかった。会っても何ら発展のない関係だから。いつか会えたらいいねと話しただけでした」
ろくでもない人生だなと彼は心から思ったそうだ。誰も幸せになっていない。それでも自分は、まだましなほうかもしれないと感じつつ、自ら命を絶った兄が少し羨ましかった。彼自身は、そこまで潔くなれなかったから。
「兄の死などは秋奈には話しました。ろくでもない家族についても少しだけ。すると秋奈は涙ぐんで『つらかったね』って。『やっぱり私たち、同じ匂いがするよね』とも。彼女もそう思っていたのかと思わず抱きしめました。彼女はじっとしていたけど、僕の背に手を回すことはなかった。それが少し寂しかったけど、彼女には彼女の傷があると感じていたから、そのことで彼女を責める気にはなりませんでした」
妻とふたり、こうやって寄り添って生きていければそれでいい、子どもも必要ないと彼は覚悟を決めた。
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