総理の座を射止めたとたん、なぜ“石破色”は消えたのか…先崎彰容氏が指摘する「箸の使い方」よりも石破総理に期待したい「国民のマインドを変える言葉」
政治家の「言葉」で社会は動く
文字通り石破首相の肝いり政策といえる「地方創生」はどうでしょうか。
石破首相の考えを知ろうと、これまで上梓されている著書を覗いてみると、「若者が移住して地方を変えた」という事例がよく目につきます。都会から一念発起、地方で古民家カフェを開いて大盛況といった、日曜日のBS番組で見かけるような成功事例を、首相としても大事だと考えているようです。
もちろん、熱意のある方が地方に移住して、その土地を盛り立てようとすること自体は、全く否定するつもりはありません。しかし、人口5万人の都市に、5人の“変わり者”が移住して頑張っても、街がそう簡単に変わるわけではないのもまた事実。
政治に求められる役割とは、その“変わり者”を1人でも増やそうとすることではなく、東京志向に偏った現実がある中で、人々の「マインド」自体を変えるような、大きなメッセージを打ち出すことにあるのではないでしょうか。
あれだけ多額のカネをばらまいている少子化対策だって、それに見合う効果が出ているとはいえません。逆に、戦後の貧しい時代でも子どもがたくさん生まれていたのは、子どもを産むことに社会の「マインド」が向いていたからに他ならないでしょう。
政治家の言葉によって、社会は動くのです。菅元首相が「令和」と掲げた瞬間に「平成史」を題材にした本が書店内にあふれ、野田佳彦氏が安倍元首相の追悼演説をしたら、“反安倍”の空気が一掃されたこともありました。それが意味することは二の次で、「103万円の壁」という言葉自体が声高に叫ばれている状況を見ても、おわかりでしょう。
その意味で政治家の持つ力は強大で、言葉で世間をジャックできるともいえる。少子化対策であれ、地方創生であれ、言葉で人を引っ張り、国民の「閉塞感」を打破し、「マインド」を変えてくれることを、石破首相には期待したいのです。
池田勇人氏の「所得倍増計画」、田中角栄氏の「列島改造計画」、安倍元首相の「アベノミクス」……。これに続く石破首相の国家像とは何でしょうか。「地域の古民家カフェ」の支援は、官僚などが個別政策でやればいいことなのです。
宰相としての役割
「国家観を語れ」というと、抽象的にとらえられるかもしれませんが、ここを大事にしないと、些末な数字にとらわれて大局を見失うことになる。
「103万円の壁」の議論も、国民の手取りを増やすという意味で重要ではあります。とはいえ、本来は官僚や有識者会議などで議論されるような、言ってしまえば“小粒”の話に、国のトップがのめり込んでしまっているともいえる。
だからこそ、一国の宰相には、国家の方向性を指し示す強い言葉が求められるのです。この役割を、石破首相は間違えてはいけない。
論戦時の言葉の切れ味や、ある種の「愚直さ」が期待されて首相になったのが石破氏でしょう。その本来の良さを取り戻すのが一番の筋であって、いくら箸の使い方で騒がれようと、首相自身がポピュリズムに走る必要はない。人材が豊富な自民党なのだから、それは国民民主党の玉木代表のようにうまくSNSを活用する若手議員に任せればよいし、首相が外交に明るくないのなら、長島昭久総理補佐官のようなブレーンをうまく使いこなせばいい。
こうしたスタンスの上で、当面は「防災」と「地方創生」を中心に、内政についての話を愚直にアピールしていくことが、石破政権復活に向けた狼煙となるのではないでしょうか。