YouTubeを駆使する「嫌われ者」が主役の時代…マスメディアは生き残りを懸けて「ユーチューバーと競争せよ」

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 日本政治史に残る年――。昨年の都知事選や兵庫県知事選でYouTubeが与えた影響は、これまでになく絶大だった。2025年も東京都議選、参院選と大型選挙が控えるが、ユーチューバーが大挙するであろうその「ショー」にマスメディアはどう対峙すべきか。『「嫌われ者」の正体 日本のトリックスター』を上梓したノンフィクションライターの石戸諭氏が「嫌われ者」という視点から2025年の「選挙とメディア」の問題点をあぶり出す。

YouTubeは「若者」のメディアではない

 2024年は日本政治においてインターネット、とりわけYouTubeが新たなマスメディアとして台頭した年と記録されることになるだろう。

 兵庫県知事選の結果を伝えたフジテレビ「Mr.サンデー」ではキャスターの宮根誠司氏が「大手メディアの敗北」と語った。この言葉は核心を突いている。宮根氏ほど生放送の場数を踏んできたキャスターはいない。 言い換えれば、彼は長年にわたって、画面を通し日々マスとコミュニケーションを取ってきた。多くのカメラが自分に向かう中で、自分の言葉で語れる語り手は少ない。その中で宮根氏が語る「敗北」は、従来のメディア業界の常識では予期できないことが起きているという直感だったように思う。

 この傾向は2025年も確実に加速すると読む。

 これまでのネットと政治、SNSと政治の研究の知見ではネットが政治に与える力は極めて限定的であり、SNS上で多く言及されたからといって必ずしも票が伸びるとは限らないというのが通説だった。

 それはインターネットの主戦場が「テキスト」だった時代の話で、動画の時代に入れば変わってくる。YouTube上で支持を集めた石丸伸二が躍進した東京都知事選、斎藤元彦氏が事前の予測を覆して当選を果たした兵庫県知事選が流れを決定づけた。

 今のYouTubeは「若者」のメディアではない。かつてのテレビと同じで幅広い世代が視聴し、デバイスを問わずに見ている。

 選挙について情報を知りたいと思っている有権者にもアプローチしやすいものに変わった。実際にYouTubeがどれほど影響力を持っているかについては、専門家の研究を待ちたいが、ワイドショーのように人々の現実認識にも大きな影響を与えているのではないだろうか。

 私は昨年出版した『「嫌われ者」の正体』で、「嫌われ者」について時に大きな問題を抱えながら、熱烈な支持者と強烈に反対する人々を生み、その中間にいる人々も目を離すことができない存在と位置付けた。

 彼らは対立や分断、炎上をもエネルギーへと転化する。世はまさにYouTubeを駆使した「嫌われ者」の時代であり、社会の方が彼らの動きを追ってしまう。その傾向は25年にはっきりと出てくる。さしあたり、石丸氏が新党を結成して挑むとされる東京都議選が大きな検証材料を提供してくれるはずだ。

『「嫌われ者」の正体 日本のトリックスター』

書籍を購入する 石戸氏の新刊 (他の写真を見る

「公平」な報道を社会は望んでいない

 これまでの常識に照らせば石丸新党を有力候補として扱うかどうかは議論になったと思うが、今は新しい勢力として捉えなければいけない。議席を取りうる存在として、常識を更新し、詳細に報じる必要があるのだ。

 そんな時代にあって変化を問われているのは、むしろYouTube以外のマスメディアのほうだ。やや大袈裟かもしれないが、今年の大型選挙は今後の選挙報道のあり方を決定づけるかもしれない。

 石丸新党はうまくSNSやYouTubeを使ってくるだろうし、演説を編集した「切り抜き動画」も収益を生む以上、彼らを追いかけるユーチューバーの数もかなり増えてくるのは目に見えている。

「マスコミの偏向報道よりもYouTubeを見たほうが真実に辿り着ける」といった声も同じように増えてくるだろう。そこにインプレッション重視の真偽不確かな情報や文字通りの意味での政治的な意図を有したデマゴギー、フェイクニュースが入ってくるのは自明である。

 これまでの新聞やテレビの選挙報道は、良く言えば「公正な選挙」に影響を与えないよう極めて抑制的な振る舞いに徹していたと評価することができる。しかし、時代は変わった。

 現代においては、むしろ悪い側面、すなわち過剰なまでに公選法や放送法を意識し、行きすぎた自主規制を勝手に実践してきた側面がよりくっきりと浮かび上がる。実際に過去にも政党、選挙区の政治家がマスメディアに「公平に報じてほしい」旨を要望してくることはあったが、だからといって各候補者を同じ秒数扱うとか、同じ行数を割いた腰のひけた「公平」な報道を社会は望んでいない。

 選挙に関心が高まる選挙期間中にYouTubeだけが活発で、マスメディアが従来型のお行儀のよい自主規制に徹する理由はどこにもない。そもそも公選法にも放送法にも「望ましい選挙報道」のあり方は具体的に記載されていない。したがって選挙期間中だから抑制的に報じるというのは、メディアの自主規制であり、言い訳に過ぎない。

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